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コロナ禍の中での「不思議な疲れ方」

現実に今の社会で起こっていることですが、学生が学校で学ばずに自宅でZoomを使った授業をうけているケースがあります。

個人個人が切り離された中での学びになることで、個と個の重なり合いが生じにくくなる。

「隣に座っている○○君、消しゴム貸してくれるかな。断られたら悲しいけど、忘れてしまったしどうしよう」などという交流にこそ、価値があったような気もします。ある社会学者の先生は、今の大学生は友達の作り方や同級生との交流の仕方もわからないコミュ障が激増していると話していました。

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とは言え、「ではどうすればいいのか」という解決策を提示することも難しい時代です。良い子にならず、アウトサイダーになることで個と個の重なり合いを若者たちには経験して欲しいと個人的には思いますが、多くの良い子たちはコロナ禍が終わった後、「どう獲得していない能力を後追いで経験していくのか」という難題と向き合っていくことになるでしょう。

子供の頃に殴り合いの喧嘩を経験できなかった男性が、大人になってから格闘技をはじめたり、学生時代に恋愛経験が皆無だった人がナンパをしはじめたり、なかなか大変な道ですが、過去の取り損ねたパズルのピースを獲得することもまた人生なのかもしれません。

話が脱線しました。

本人が意図的に避けて通った経験を、歳を取ってから取り戻そうとする。そんな話ではなく、コロナ禍によって強制的に、社会システムが変わり、個と個が重なり合えないのです。今の子供達には、やはり同情する気持ちが湧きますし、将来何がしらの歪みを生むのは確実でしょう。

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学びに行くまでの移動、その時の気候、陽の光の窓からの差し込み方、日差し。部屋の匂い。複合的なさまざまなものを含めた経験が財産であり、そうしたものが欠落して、視覚と聴覚に偏ったものになるので、不思議な疲れ方をする。肉体や意識、魂などの協働が、デジタルではそれを置き換えることができない。

昨年から、心理セラピーに関するコース(長期間の研修、1日6時間強)、動画制作スクール(半年以上)等をZoomメインで学ぶようになりました。話し方や発声の仕方、本当にさまざまな学びを対面ではない形、デジタル完結でおこないました。

大人である私も教育者として、サービスを提供する側の立場ではなく、受け手、学び手としてこのデジタル化の中に生きています。

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もちろん、私自身もZoomを使ったレッスン、レクチャー、カウンセリングをおこなうようになりました。ワークショップ、打ち合わせなども一般的なビジネスマンよりは頻度は少ないかもしれませんがZoomを使うことも増えています。地方のスタジオなどへのアドバイザーとしてのお仕事も、ほぼ完全にZoomだけになっています。

コロナ禍以前から五感を満遍なく使う動物とは違って、視覚に偏り過ぎていた私たちは、デジタル化が進み、更に偏りを強くしています。「学習効果に差はない」という結果が出ているリサーチもあるようですが、教える側も学ぶ側も「不思議な疲れ方」に対する対処を考える必要があります。

Zoomで何かを学んだあと、どの五感を使って緊張をディスチャージしているでしょうか。パソコンのモニター画面を見ながら学んだ後、スマートフォンでYouTubeを観たり、ゲームをしているなら、学んだことを糧にするどころか、深刻に健康を害するのは時間の問題という気もします。

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今も過渡期なのかもしれませんが、このスタイルになってから、もう2年が経ちます。多くの人がなんだかんだ慣れてきているはずですが、この「不思議な疲れ方」にも慣れてしまってはいないでしょうか?この疲れ方に慣れてしまうということは、進化でもなんでもなく、ただ鈍感になった、鈍磨になっただけだからです。より精神疾患やストレス起因の内臓疾患、癌その他の様々な深刻な問題を引き起こすはずです。今は誰も目を向けていないだけで、次は必ず今の不自然さの弊害が現れます。

僕からお伝えできる簡単なアドバイス、ヒントは軽んじている五感に対して働きかける時間を持つことです。嗅覚や触覚に対して働きかけるセラピー、癒し。お香を焚く、アロマオイルやセルフマッサージできることはあるはずです。

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