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観察をする

2013年にスタジオをオープンしてから、1,2年が過ぎた頃、すぐ近くにコンビニが出来ました。あまりにも近くだったので当時、「引き寄せ」などと笑って話したりしていました。

オープンして、すぐに直営店ではなく、フランチャイズ店なのかなという気がしました。でもオーナー自ら店頭に立っているタイプでもなく、社員を雇って店長にして...というタイプのようでした。

線の細い、貧血で年に何度か倒れてしまいそうな、少し神経質そうな女性が店長と書かれた名札をつけていました。彼女と、それから出稼ぎに来た外国人かすぐに辞めてしまう日本人で成り立っているコンビニ。

最初の夏が来て、制服が半袖になり、お会計をしてもらった時に彼女の前腕に目が留まりました。

無数のリストカットの痕。

神経をすり減らしながら、彼女は闘っていました。理不尽な酔っ払いの年寄りがクレームを延々と言っている場面に出くわしたあの日のこと。アルバイトの外国人と笑顔で何か雑談をしていたり、彼女に対して何か祈るような想いを今も持ち続けています。彼女は今も働いていて、少し強さが内側から現れていて、もう大丈夫だろうと勝手に私は想像をしています。

私のピラティスは、一般的なそれとは違い、少し独特です。一流アスリートの担当をしていますというよりも、私は日常生活を健やかに送ることができない弱者に現れた発芽、小さな、でも今にも折れてしまいそうなか細い勇気や前向きさに寄り添える存在でありたいと、これまで思い続けてきました。

セラピューティックな(治療的な)ピラティストレーナーなのであれば、見落としてはいけない生きることの哀しみと再生、可能性。自分の伸びやかさやしなやかさに目を向け、そして快適に呼吸を大切に日々生きていれば、ていねいに日々を生きることを心がけていれば、それは自然と目に留まります。それはどれだけ難解な動きができるかどうかよりも、どれだけ解剖学や運動学生理学の知識があるかよりも、ある意味で私にとってはもっとも重要なことなのです。

ピラティスやボディワークを学び始めると、姿勢評価をレッスンやセッションの前後でおこなうようになるでしょう。物質的な存在としての身体だけではなく、同時にもう少し深い部分、より全体的に観察することを意識してみてください。その人のコンテキスト(文脈や背景)を観察するのです。それができるようになったら、普段の生活でも、それが溢れていることに気づくはずです。それが皆さんのピラティスやボディワークをより上質なもの、表面的ではなく、より深いレベルのものに引き上げてくれるでしょう。


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