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ヨガやピラティスのインストラクターになる君へ

私は師匠のエド博士から「アウェアネス(気づき)がすべてである」と教わりました。その言葉の意味を、当時のことを思い出しながら何度も繰り返し考えています。どういう意味、どういうことなのでしょうか。

また、こんな経験もあります。過去付き合いのあったフィットネスアパレルの代表と、二人で話をしたある日のことです。「フィットネス業界の人間は、アウェアネス、アウェアネス、気づいてばかりで何もしない。馬鹿ばかりだ」と毒づかれました。当時、彼のもとから多くの人が去った直後で、彼にとっては辛い状況でした。何某ら否定しないと身が持たないのだろうと聞き流しました。

「気づいても行動しなければ、意味がない」

耳が痛い人、自分を責めるような気持ちになる人もいるでしょう。ですが、本当でしょうか。実際、催眠療法・心理療法などを学び進めていくと「気づくこと」で問題の半分以上が解決されていることがわかるようになりました。

ある母親の話

ある女性が、ぼくに子育ての相談をセッションの中でされたことがありました。

「私は子供に一言多く、強い口調で叱ってしまうんです」と話す彼女は、そのことに気づいているので問題の半分は解決されている。エド博士なら「すべて」とおっしゃるでしょう。でも、「そんなはずはない」と彼女は否定するだろうという気がして、その時は「半分」と伝えました。

「その場にいないからわからないですが、一言多く叱っていると、気づいているんですね。じゃあ、半分は解決しているんじゃないですか」


このことを伝えた後、腑に落ちない曖昧な表情を彼女は浮かべていました。でも、そのことに気づかず、一言多く強い口調で叱っていた時点とは、あきらかに違っているのです。空気、トーン、何かが決定的に違っているはずです。きっと、子供も感じ取っています。間違いなく、次の段階に進んでいるのです。

「気づいても行動できない」は、本当か

実際に変わっていなくても、内側では変わっている。皮膚の外では行動できていなくても、内側では行動をとっている。自分の中に、あるいは他人の中に。

「アウェアネスがすべてである」

このことに気づけた人は次の段階に進み、気づけていない人は息苦しい狭い世界の中に止まってしまっている。そんなふうに感じます。

「気づいても行動しなければ、意味がない」と言い切ってしまう、そんな君ではないことを僕は知っています。言い切ってしまったら、子供を一言多く叱ってしまうことに悩んでいる「彼女の葛藤に価値はない」「彼女の苦しみに意味がない」ということになってしまう。そんな訳、そんなはずないじゃないですか。

開き直っているわけじゃ、もちろんありません。実際の行動に踏み出す寸前、その直前の内側での目に見えない変化、行動。その境界線で、彼女も君も、僕も苦しんでいる。でも、アウェアネスが起きており、次の段階には進んでいる。他人の中にあるその葛藤、苦しみを応援するように、君が君の中にあるそれを励まして欲しい。「価値がない」「意味がない」と否定しないで欲しい。少なくとも半分は解決していて、峠は越えている。そのことを知って欲しいので、今日はこの記事を書きました。

色々あるよね、でも頑張ろうね。

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