葉坂、車に轢かれる
ある日の昼下がり、イヤホンでオーディオブックを聴きながら、横断歩道を歩いていました。
自分の職場近くのよく知っているエリア(大阪マルビル近く)で、軽バンが減速せずにウィンカーも出さず、突如右折。僕の右腕にバンの車体が当たりました。
お恥ずかしながら、オーディオブックの内容に意識を囚われすぎていたのかもしれません。あるいはランチ後で、少しボーッとしていたのかもしれません。
腕は脱力して歩いていたので正直、とくべつ痛くもなかったのですが、結構な衝撃音がしました。すぐに、自分の心身をセルフスキャン(自分で自分をモニタリングする)してみました。身体的にも、心理的にも何もなく、驚くほど冷静でした。
軽バンは走り去ることなく、少し先で停車。運転手が私の方に向かって歩いてきました。
私より少し年上らしき女性、制服を着ていました。
減速もせずに右折してきたので、僕の存在を完全に見落としていたのかもしれません。慌てている彼女の表情、この事故は関係なく、少し疲れているような印象も受けました。
「気を付けてくださいね、僕は大丈夫だから」と言って、警察などには行かず立ち去りました。別にゴミ拾いをしたといった善行をした訳でもないけれど、少し気分良くその日は過ごせました。
昔ならもう少し腹が立ったり、驚愕反応に伴って、なんらかの感情が起きていたかもしれません。最近の取り組みが功を奏して、自分の耐性領域(神経系)が増えていて、僕にとっても軽バンの女性にとっても良い結果になりました。
僕の性格は良くなった(優しくなった)のでしょうか。
正直、あまり変わっていないと思います。さらに言えば、最近痛感しているのは、性格の良し悪しなんてあまりないのかなということです。彼女を怒鳴ることも、被害者だと怖がることも、運が悪いと落ち込むことも、紙一重というか、生理学的な反応、神経系の状態にかなり依存しています。1年前の僕が「おい、ごらぁ。この事故は、高くつきまっせ」と彼女に言ったかどうかは別にして、もう少し厳しい物言いをしてしまっていた気がします(車にぶつけられた反応的に)。単純に自分の耐性領域が広がって、生理学的に安定しているから、適切な対応ができた。それだけなのです。僕が急に性格が良くなったわけではないのです(残念ながら、僕は僕です)。
この社会を快適に生きていくには、耐性領域を増やすこと。これはかなり重要なのではないかというのが昨今の気づきです。
危機察知能力に欠けていて、周辺視野云々など偉そうに言っている僕ですから、車にぶつけられるというのは恥ずかしいわけです。でも、その辺はスルーして、「葉坂の神経系、素敵やん」とポジティブに解釈ください。