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ヨガやピラティスの先生になる人たちへ⑩

前回、アナウンサーの先生からオンラインレッスンで声の出し方について学んだことをお伝えしました(ヨガやピラティスの先生になる人たちへ⑨)。自分なりに試行錯誤することも立派なチャレンジですが、私はその道の先生から教わるという選択をしました。

教わったことについては、こちら(アナウンサーの方が教えてくださった声の出し方)にまとめています。同じ先生から再度学ぼうかとも少し思いましたが、他の先生を探すことにしました。そして昨日の朝、別の先生からレッスンを受講しました。結果、大正解でした。

教えることそのものにやり甲斐を見出しておられる印象で、情熱を感じました。比較すると前回の先生は、アナウンサーとしての仕事が好きで、教えることは小遣い稼ぎという感じだったのかもしれません。

ヨガやピラティス、あるいはダンスやウェイトトレーニングでも同じようなことがあったりします。ゴールドジムのパーソナルトレーニングで、目の前のクライアントではなく、鏡に映った自分の筋肉の盛り上がりをずっと見ているパーソナルトレーナーを目撃したことがあります。前回は前回で私にとっては学ぶことがありましたが、継続しようと思えなかったのはそういう残念さが私の中になんとなくあったからなのかもしれません。別の先生から学んでみて、そんなことを思いました。

今回の先生のレッスンは終わった後、脇の下は汗で染みていて、グッタリと疲れました。散歩しないと1日が潰れかねないと思って、小一時間公園を歩きました。慣れていないことを頑張った時に起こる、悪くない疲れでした。

年齢を経れば経るほど、何かを習得することは困難になります。そもそもの自分のポテンシャルとしてもそうなのに、環境も同様に新しいことを学ぶことを難しくさせていきます。子供は、朝から晩までボールを追いかけ続けることができます。でも、私たちは朝ご飯の準備をして、仕事をして、とやるべきことが比較にならないほど増えています。ある程度の年齢になった後に何かを習得するには、戦略的に自分が上手になる仕組みを作ってしまう必要があります。その点、先生選びは極めて重要です。理想の先生を青い鳥を探すように探し続けるのも違うでしょうが、最初が肝心だという原理原則も忘れてはいけないのです。

前の先生が悪かった訳ではもちろんなくて、今回の先生がより素晴らしかったというお話でした。また、学んだことはまとめますが、話し方に限らず、すべてにおいて「誰から」がとても重要であるというお話でした。

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