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小学生だった私が、病的にハマったゲームのはなし

私が小学生だったころは、ちょうどDSブームの到来時期だった。放課後になると誰かの家で、公園で、いたるところで顔を突き合わせ、みんな通信ゲームをしていた。

「頭のいい大人がみんなをハマらせようと知恵を振り絞ったもの、面白いに決まってる。小学生ごときがそれを理性的にセーブなんてできるわけがない。体が動かなくなってからの楽しみにとっておくべし」という母の方針のもと、我が家に電子ゲームが導入されたことは、残念ながらただの一度もない。妹はこの自粛期間中に「運動不足解消のためにWii買って運動しようよ」と主張しゲーム導入を画策したらしいが、あえなく却下されたそうだ。

DS、プレステ、Wii、Switch… みんな聞いたことはあるけど、私にとってはどこか異世界のものだ。やり始めたら絶対おもしろいだろうしすごく興味はあるのに、「あんまり触れてはいけないもの」という認識がいまだにある。スマホゲームもあまりやらない。さすがにもう大学生だし、いまさらSwitchを買ったところで親は何も言わないだろうけど。

そんな私が「ゲーム」ときいて真っ先に思い浮かべるのは、「ガイスター」というボードゲームだ。


ガイスター ~強いのは性格が悪い人~

一対一の対戦型ボードゲーム。「いいおばけ」と「わるいおばけ」の駒を盤上で動かしていくだけのシンプルなゲームで、勝利条件は3つ。
・相手の「いいおばけ」をすべて取る
・自分の「わるいおばけ」をすべて相手に取らせる
・自分の「いいおばけ」を相手陣地にある出口から外に出す
「いいおばけ」か「わるいおばけ」かはおばけの背中についているマークで判断するので、相手の駒がどちらなのかはわからない。読み合いの心理戦。


このゲーム、とにかくルールがシンプルなのがいいところだ。2種類のおばけの駒を前後左右に動かしていくだけ。勝利条件も少なくてわかりやすい。「ルールが覚えられないから楽しめない」という現象は、このゲームではまずおこらない。

それなのにこのゲーム、非常に奥が深い。言ってしまえば「この駒はいいおばけか、わるいおばけか」という読み合いがこのゲームの肝になる。駒の動かし方、相手の表情、盤上の状況などさまざまな要素から相手の駒を予想し、自分の駒を動かしていく。相手の性格やこれまでのプレイの回数も判断材料になる。この読み合いがたまらない。

読みがはずれると、あっさりゲームが終わってしまうこともある。熟練者が初心者相手に深読みしすぎて見誤り、あっけなく負けてしまうこともしばしば。かと思えば、相手に読ませまいと表情を作ったり、あえて普段とは違う作戦をとったりといった心理戦が白熱し、かなりの長期戦となって、盤上の駒が極限まですくなくなる究極の読み合い合戦になることもある。(といっても1ゲームで30分を超えることはそうそうない)。

あと、これが私の推しポイントなのだが、とにかくおばけがかわいい。ほんとうにかわいい。目が2つくりぬかれているだけのシンプルな白い駒。それなのにあふれでる愛くるしさ。ちょろっと生えたしっぽみたいなフォルムもキュート。はい、かわいい。
ゲームがひと段落すると、きまっておばけをならべたり積み上げたりして遊ぶ。それだけでもこのゲーム、買った価値がある。
(余談:ガイスターの駒、調べたら「幽霊」だそうです。私はずっと「おばけ」と呼んできたのでそのままでいきます。)


いつ買ってもらったのかは覚えていないが、小学校3.4年生のころにはすでに家にあった気がするから、このゲームとは少なくとも10年以上の付き合いになる。段ボール紙でできた盤面はもうボロボロで、もともとつながっていた1枚の盤面は折り目に沿って4分割されてしまっている。

間違いなく「遊び倒した」と言えるゲームだろう。小学生のときは自宅や友達の家で、エンドレスに試合をしていた。同じ友達とひたすら何回もやっていると相手の癖や作戦がだんだんわかってきて、初手の動かし方で「ああ、今回はあの作戦かな」と手の内がわかるようにまでなった。そうするとお互い工夫し始め、どうにか相手の裏をかこうと新たに作戦を練る。一手にかける時間や表情のつくりかたまで自分のなかで試行錯誤。

そのうち「ボードゲームノート」をつくって戦績や勝ち方、作戦などを記録し始めた。これを「研究」といわずに何と言おう。まだあのA3のノートは実家に残っているんだろうか。

ルールがシンプルだからこそ、自分の思考力が試されるゲーム。ルールや駒が少なく、覚えやすくてシンプルなボードゲームを私がいまだに好むのは、まちがいなくガイスターがDNAに刷り込まれているからだと思う。


どこでもドラえもん ~元のルールがわからない~

ガイスターと同じくらい遊んだといえるゲームと言えば、「どこドラ」だろう。

日本を旅行して各地のご当地カードを集めよう!一本道の人生ゲームとは違い、徒歩・新幹線・船・飛行機を駆使して日本中を自由に旅するルーレットゲーム。秘密道具カードなどの特殊効果カードもドラえもん好きにはたまらない。

これも小学生のとき遊び倒したゲームだ(「どこドラ」と呼んでたせいでゲームの正式名称がわからず、検索するのに手間取った)。何度か改訂されていて、私が持っているバージョンは、今の版とはデザインもルールも微妙に変わっていると思う。

日本各地の「ご当地カード」を集めて、相手より早くゴールしたほうが勝ち。このゲームのいいところ(本来の目的でもある)は、日本各地の名産品を無意識のうちに覚えられることだろう。新潟の「笹団子」や宮城の「伊達政宗(名産品ではない)」、岐阜の「さるぼぼ」、千葉の「ピーナッツ」。いずれも私のお気に入りカードで(カードに書かれているご当地ドラえもんがかわいかったというだけ)、盤を見ているだけで「あのドラえもん、日本地図のあの辺にいたなあ」と記憶される。

小学生のころは別に「勉強だ」と思ってやっていたわけではもちろんなかったけれど、結果的に地理の勉強にはなっていたんだろう。
ちなみにこのゲーム、裏は「世界地図」になっており、世界バージョンでも楽しめる。

先にあげたガイスターよりルールは何段階か複雑で、いくつも遊び方があるゲームだ。ドラえもんは好きだったけど熱狂的ファンというほどでもなかった私は、「まあもらったし遊んでみるか」くらいのテンションで遊び始めたのだが、これも友達とやり込むうちに自然と自分の「戦い方」が確立されていった。

お気に入りのご当地ドラえもんや「使える」特殊効果カードをお互い把握し始める。どんなルートでまわるのが効率的か、相手がまだとっていないご当地のカードはどこか、相手を足止めするには、おっとお金が足りなくなってきた…と考えることは無数にあり、勝ち方も無数にある。いくら遊んでも尽きることのない作戦。

次第に、取扱説明書に書かれている遊び方だけでは満足しきれなくなってきた。そこで、相手に自分の持ちカードや所持金、まわるルート(世界版では回らなければならないルートが指定できる遊び方がある)が見えないよう、仕切り板を立てるようになった。記憶をたどりつつ相手の現状を把握、そしてこれからの行動を予測、それにあわせて妨害方法や自分の回り方を考えていく。「考えなければならない事項」を自分たちで増やすことで、ゲームに奥深さをもたせたのだ。小学生の自分、我ながらすごいぞ。

さらに、特殊効果カードは3回までつかえる、とか相手の集めたカードを横取りできる、とか新しいルールをいくつも開発し組み合わせ、ゲームを楽しむようになった。これもまた一種の「研究」と言えると思う。

小学校を卒業してからはさすがにやることはなくなってしまったけど、ただひたすらに楽しさを追求し、純粋にルールを試行錯誤していた経験は忘れがたいものとして私の中に残っている。買った当の親が「正直あそこまでやりこむとは思ってなかった」と未だに言うくらいだから、はたから見てもどこドラは相当やり込んでいたんだと思う。

* * *

今思い返せばどちらのゲームも「研究」していた。ガイスターは「決められたルールの中でどう勝つか」の研究。どこドラは「ゲームを楽しむためにはどんなルールをつくるか」の研究。

理系である私のおそらく最初の「研究」「実験」体験だったと思う。小学生ながらに頭を働かせ、失敗しても成功してもそれを面白いと思えること。考えることがずっと好きでいられたのは、もしかしたらボードゲームのおかげかもしれない。当時はそんなこと、考えもしなかったけれど。

ボードゲーム好きは今でも変わらずだが、病的にボードゲームにはまり、遊び倒していたのは小学生の頃だった。この2つ以外にもいろんなボードゲームを買ってもらったし、持っていないが好きなゲームもたくさんある。アルゴ、ハリガリ、この窓どの窓、ミッドナイトパーティー、DIGIT、バトルライン、コリドール…etc。

今でも友達とボードゲームをしたり、近所のボードゲーム屋さんをのぞいてみたり。近頃はボードゲームカフェなんてものを探しているし、立派な「趣味」かもしれない。何の目的意識も持つ必要がない、私の中ではなによりも純粋な「娯楽」であるボードゲーム。

きっとこの先どんなゲームを買おうとも、私にとって原点の「ゲーム」はずっと「ボードゲーム」なのだと思う。


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