見出し画像

カンボジアの小学校で1ヶ月働いてみて

ជម្រាបសួរ
おはようございます!

カンボジアに来て、1ヶ月が経ちました。

ここ1週間は鼻水と咳にやられて少し体調を崩していました。

気持ちは元気なのですが、、笑

土日でしっかりと休んで治したいです。

来週は報告会があります。

1ヶ月過ごしてどう?と必ず聞かれると思うので、感じたことのあれこれを整理しつつ、noteに残したいと思います。

✈︎

1、求められる「21世紀型学習」とは何か。

まず課題の整理から。

求められる21世紀型教育とは何か。

これからシンギュラリティの時代がやってくるといわれている。

AI(人工知能)の進化で今後10〜20年で、今ある仕事のうち半分はなくなってしまう。

今の子どもたちの65%(3人に2人)が、今は存在していない職業につく可能性が高い。

これまでの学校教育は、AIにとって変わられるような人材を育成する教育といえる。

なぜなら知識だけなら、PCやスマホでたくさん検索できるから。

よって、これからは、そこにある情報を精査・活用し、自分が考えて、他の人と共有しながら解答を導き出す力が求められると考えられる。

つまり、自ら考え、行動する人を育てるということ。

✈︎

10年に1度、社会のニーズや時代の変化に沿って改定される学習指導要領。

小学校では、2020年度から新学習指導要領の改定が実施された。

改定のポイントは大きく2つ。

主体的・対話的で深い学びの視点から、「何を学ぶか」だけでなく「どのように学ぶか」も重視

「カリキュラム・マネジメント」の確立。

→何ができるようになるか
3観点;知識及び技能思考力・判断力・表現力学びに向かう力・人間性

2、日本の教育現場で働いてみて

しんどいと感じていたことを箇条書きで

・雑務が多い
・12時間労働
・休憩がない
・保護者対応がきつい(色んな人がいる)
・教材研究の時間がない
・1人で30人は目と耳と手が足りない
・ベテラン先生と同じ土俵で責任が重い
・行事ごとの負担が大きい
・丸つけが追いつかない
・どの先生も余裕がなく、相談できない
・閉鎖的な空間
など

小学校の先生の仕事は、主に5つだと思う。
1、教科指導
2、生徒指導
3、生活指導
4、学級経営
5、保護者対応

この業務を毎日こなす。

大学生活の中で、自分なりの子どもにこんなことを伝えたい、こんな風に向き合いたい、授業をしたいと考えていたが、どの理想もこっぱ微塵に砕かれた。

途上国の教育の質が何やら、こんちゃらと卒論を書いたが

教育現場で実践することの難しさを身をもって痛感した。

3、PBLで子どもは何を学んでいるのだろう

現在、日本の公益財団法人が経営するカンボジア幼小中一貫校の小学部教諭として働かせてもらっている。

この学校のユニークなところは、何といってもPBLを取り入れていることだろう。(それに惹かれて現職)

カンボジアの教育省との交渉の結果、カンボジアの規定のカリキュラムをこなす代わりに週に40時間好きなように教育活動をしていいとのこと。

カンボジア公式の卒業認定もつくという。

よって、6時間の内、2時間はPBLの時間配当がなされている。


具体的に何をしているか。

例えば、1年生では、十二支の劇に取り組む。
グループで小物作りや劇の練習、話し合いを行う。

新しい教育をつくろうとしているのはわかる。
だけど、子どもたちはPBLの時間で子ども達は自身で何に気づき、学んでいるのだろうか。

PBLの行う上で、教師が評価するのではなく、子ども達自身が評価するということが大切だと思う。

つまり、教師は評価を評価するという立場。学びの伴走者。

だけど、現時点では、評価を評価することもない。

やみくもに課題を提示しても、何となくの教育活動になってしまう。今はそのような印象を受ける。

だからこそ、教師同士のコミュニケーション(ねらいや何を学んだかの共有)や企画部でのPDCAがこれから必要なのだと感じる。

4、日本人先生とローカル先生の関係性

ここが最大の考えていたこと。

日本人先生とローカル先生はどのような関係性が好ましいのだろうか、ということだ。

現在、ブリッジ先生と呼ばれる学級担任は日本人とローカル先生が2人で行っている。

2人とはいいつつ、おおかたローカル先生が副担任のようなポジション。
たまに子どもが理解できないところをフォローアップしてくれる。

日本人先生は先鋭のため、指導力は抜群。

カンボジアは教育養成の面で日本と違うようで、ローカル先生は教員免許を持っている訳ではなく、日本語の語学学校の出身が多くを占めるらしい。

どのように授業をすればいいのか、学級経営をすればいいか、学ぶため、日本人先生が前に出て教鞭をとっている。

その一連の流れはわかる。

だけど、今後新しい教育を共に創っていこうというパートナーだから、もっと対等に信頼関係を結べられないかと思う。

5、第2言語について

学校の使用言語をどうするか問題。

クメール語(日本でいう国語)は週に10時間配当されているが、子ども達はクメール語で文を書くことができない。

やっと3年生になって作文ができるという。

クメール語の授業形態も気にはなる。

しかし、最も考慮すべきところは第二言語で思考力・判断力・表現力が育まれるかということだ。

学校での使用言語は日本語、クメール語、たまに英語。

第二言語習得論で母国語や学習言語、生活言語への研究がなされている。

シンプルにいうと、母語の基盤があってこその第二言語。

氷山モデルとも類似しているのではないだろうか。

母語の定着を図るとなれば、それだけの時数と教材研究が必要だが、果たしてそれをこれからできるのか。

研究授業や指導教諭が入って、ブラッシュアップするのが理想的。

だが、そのような指導教諭は果たして誰がいいのだろう。

また、互いの授業を見ることや違う学校へ見学するといったことはカンボジアの文化にはない中でどのように学び続ける人を育てるか。

大学生の時に読んだ論文でもアフリカやアジア諸国で研究授業といった文化はないと記載されていた気がする。

答えは出ないが、向き合うべき課題であると感じる。

さいごに

カンボジアという穏やかな国が好きだ。

3年前来た時も今もそう思う。


好きな小説の一節。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

マチネの終わりに

あの時の揺さぶられた感情も感動も出会いも時が経つごとに、私の中で少しずつ色が変わっていく。

解釈の仕方が変わるといってもいい。


今日、綴ったこの文章もきっと私の中で変わっていくだろう。

だけど、それが良いも悪いもない。

またこれからどのように変わっていくか。

変化を楽しみたいと思う。


អរគុណ ច្រេីន
最後まで読んでいただき、ありがとうございました〜!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?