時の流れに身を任せ春を待つ

IT文明の到来に伴い、世の中が急スピードで走り出している。人類が進化してきた過程の中で、こんなにも急加速に物事が変わっていく時代が未だかつてあっただろうか。マヤ文明などミステリーに溢れ、解明されていない文明はわかりえないが、歴史の教科書に載るような時代の中では現在の様なスピード感はない気がする。過去の文明を振り返っても、どの時代も何万年、何百年とその時代に年月をかけて少しずつ少しずつ発展してきたのだろう。

それがここ最近、数十年で急加速が始まった新文明。これが新たな人間の進化なのか、本当にこのままでは映画「ターミネーター」のような世界になってしまうのではかと勝手に心配している。懐かしい景色がどんどん無くなり、利便性とハイテクノロジーに溢れ、一人一人が小さな端末を持ち歩き、街中に情報が溢れかえっている。いつか機械が勝手に進化し始めたら暴走が止められなくなり、核ミサイルが発射され肉体を持つ生命が絶たれるのではないか…まさしくターミネーターの世界を想像させる。きっと同じ事を思っている人はたくさんいて、尚且つこの世の中を最先端で動かしている人達はそれをも想定して未来を導いているのであろう。私の様な庶民が考えても思いつけないような答えを出しているかもしれない。

近年、大きな災害が起きる度に群衆による集団心理の恐怖を味わってきた。風評被害や、噂・デマに流され経済的にも精神面にも大きな損害が発生している。自然災害の脅威にさらされた時に人間の無力さに絶望する反面、人間の集団心理にも恐怖が増す。情報が一気にあふれ出し、本当の正しい判断、そして真実の情報、その情報に対する責任はどこにあるのか。情報のスピードが加速する分、判断のスピードも上がる。自分自身がしっかり考えずに情報を頼りに群衆が動き出す。それもとてつもない巨大な情報の波と化した津波が退くのにも更に時間がかかる。そういう状態を目の当たりにすると恐怖で体が硬直してしまう。目の前にいる人間が全てゾンビに見えてきてしまったほどだ。しかし同時に「これが真の私達の姿なんだ」と鏡の自分を見ているようにも感じた。自分こそ神様でもないくせに、同胞の人間を見下し、哀れみ、偽善者ぶった真のゾンビは私なのかも知れないと路頭に迷いこんだりもした。

ひと昔前だって、いつの時代でもきっと人のデマや噂に翻弄されたに違いない。どの時代でも真の判断をできるものは偶然に過ぎなくて、どうにかこうにか何とかここまで人間は存在してきたのだ。でもそれで良いのではないかと思う。情報化社会に真っ向から対立したい訳ではないが、もう少しゆったりと進化を楽しみたいと思うだけ。これは自分の性格がのんびり屋なだけで、世間的に遅れを取っている焦りもしかり、このスピード感に恐怖を拭い取れずに生き続ける苦悩から解放されたいだけとも言える。

2050年の新たな予言が飛び交う不確かな未来像は、一体どこまで真実となり目の当たりする事になるのか。2020年というこの見栄えの良い数字の並びに対しても、新時代を象徴するかのような期待と未知の世界の幕開けとも感じてしまう今日この頃。こんな事を感じずに時代の流れに身を任せ、揺られながら人生を全うすれば良いのだけなのに思考が止まらない。まだ起きていもいない事態に恐怖を感じて生きる私は早死にしそうだ。

地球が誕生して数億年。人類が存在している年月なんてほんのわずかな時間だが、ふと自分達は地球に誕生したウイルスやバクテリアみたいなものじゃないかと思ったりする。人類がインフルやエボラやエイズ、そして新型コロナに怯えるように、地球も私たちの急速な進化に怯えながらどうにか共存する術を試しているのかもしれない。地球にとって新参者の人類でありますが、どうかこの先も一緒に回り続けていただきたい。共に地球を豊かにし、浄化し、相思相愛の関係でいられますように。

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