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ドストエフスキー 賭博者 20210227

ドストエフスキー 賭博者

高校生の頃、私はスタンダールの「赤と黒」がギャンブルの話だと勘違いしていたのを思い出した。赤と黒は僧の服の色なのだが、そういう話ではない。むしろ、「賭博者」がまさにギャンブルの話だと思った。

もちろん錯綜した人間関係がある。主人公のロシア人青年アレクセイ・イワーノヴィチは根っからのギャンブル狂だ。彼は好きな女がいる。通俗ロマンス小説ならそこで「はい合体」となるところだが、


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彼女がやってきたのが私のところであって、ミスターアストリーのところではない!若い娘がただ一人で、ホテルから私の部屋に来たのだ――それなのにわたしは、私は彼女の前に突っ立って、いまだに理解できずにいるのだ!
ある奇妙な考えがわたしの頭にひらめいた。
「ポリーナ、僕に一時間だけください!。。。。」
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私は読みながら「まさか」と思った。そしたら案の定彼はルーレット場にいるのである。そして笑ってしまうのである。
嫌味なフランス人、功利的なイギリス人、ロシアの田舎者たち、、、中でもお祖母さんの存在は興味深い。彼女はかなりの財産を持ち皆から「早く死ね」と思われてるのだが、彼女が元気な姿で颯爽とルーレットの街に現れて皆を仰天させるのだ。そしてその彼女が何万ルーブル勝ちそして一晩でその勝ち以上の金額を失い真っ青になっていく展開は読者が期待する通りの展開だ。入れ代わり立ち代わり現れる怪しいポーランド人の予想師たち。騒ぎ立てる群衆。テーブルの金をくすねて官憲に逮捕される者。分け前に預かりたい群衆。そしてふと現れる謎の聖者。。。

ドストエフスキーはキリスト教をベースにした罪と罰が私が好む作品だが、この作品では善悪とか正しいとかそういう理屈はない。一夜で連続して勝ち!そしてあくる日には


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カジノを出てふと見ると、チョッキのポケットにまだ1グルテンの貨幣が転がっていた「ああ、してみると、食事をするだけの金はあるわけだ!」――わたしは思ったが、百歩ほど行ってから、考え直し、引き返した。わたしはその1グルテンを前半(マンク)に賭けた。
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私はふと思うのだ。私だって世界最高峰で何百年も残る名作を発表して死にたい、と。しかし私が手持ちの100円玉を最後に賭けに使えるのだろうかと。理性は止めろという。本能でも止めろという。所詮これが小物たる私の運命なのではないかと。


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