【ネタバレあり】「IT/イット2」において、どうして彼は死なないといけなかったか
この記事は「IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」のネタバレを大いに含んでおります。
映画「IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」(今後は長いので「IT/イット2」で通させていただきます)、私は公開してすぐに映画館に観に行きました。
というのも、もともと1990年に公開された「IT」が好きなこともあり、また、前作の「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」も大いに楽しんだので、続編も大いに期待していました。
旧作を観ていることもあり、スティーブン・キング原作の映画も結構観ているので、お話については特に不満はありません。初見の人は「は?」ってなるとこもあるかもです。私は1990年の「IT」観て「は?」ってなったので、初見の方はなると思います。なるよね。
旧作を観ている私からすると、新しい「IT」シリーズはとてもよくできているなと思います。子どもの頃のわくわく感、未知のものに立ち向かう心、大人になってからの、忘れてしまう悲しさとか、もっと難しい色々なものを、上手に描いてたなと。
で、この映画について弟と、それこそ公開してすぐくらいに話したんですね。
弟も「よかった」と言ってたんですが、ひとつ不満があったみたいで、
それが
「なんでエディが死ぬ必要があったのか」
でした。
確かにな。
確かに私も思ってました。「え?急に死ぬやん」って。
調べたら原作でもエディは死んでるみたいなんですが、あの映画の流れだったら、正直助かってもおかしくなかったというか。
「なんだか唐突に死んだぞ」感が否めなかったんですよ。
で、当時それについて真剣に考えました。
なぜなら私は、リッチーとエディに全部持ってかれた女。
結果、
「これしかない!!!天才!!!」
と思える理由に至ったんですが、公開当時はネタバレ記事になるし…とやめてました。
いまさらになって思い出したように書こうと思います。
制作側はこんなこと考えてないかもしれないけど、私にとってはこれが一番しっくりくるんです。
エディが死んだのはリッチーが原因ではないか
今回の映画では、リッチーはゲイとして書かれてました。
(物語の中ではっきりと明言していたシーンはありませんでしたが、監督とプロデューサーがそうおっしゃってるので、私の哀れな妄想ではございません)
インタビューを読むに、原作でもそれがにおわされてるんですかね?
私は原作未読なのですが……。
で、エディのことが好きなんですね、リッチー。
最後の橋のシーンとか涙なくして見れないわけですが(ビル・ヘイダーの顔がハチャメチャに好きなので100倍涙腺が緩い)、
私は、リッチーがエディのことを好きである以上、エディは死ななくちゃいけなかった、と思うんです。
エディが死なないと、ペニーワイズには勝てなかったんじゃないかな、と。
リッチーの恐怖は単なる「ゲイバレ」ではなかったのでは?
人を好きになったとき、もちろん「この人と恋人になりたいわ」と思うかもしれないですし、そのためにアプローチをするかもしれないですが、
そうは思わない場合もあります。
例えば自分に自信がないときとか。
「私が好きだって知ったら、嫌われるかもしれないな」と。
リッチーはおそらく(というか十中八九)後者の考え方をすると思う。
だってゲイだってバレたくないんですよ。
ゲイだってバレることが、ペニーワイズに付け込まれる恐怖になっている。
そんな人が、好きな人に対して「恋人になりたいわ」って思ってアプローチしますか。
いや、「結ばれたい」とは思ったんかもしれん。思ったから橋に文字刻んだんかもしれん。あかん涙出てきた。
でも、仮に「結ばれたい」と思っても、それを知られたいと思いますかね。
絶対思わないでしょ。
なんなら、この世で一番知られたくない相手でしょ。
リッチーにとっての恐怖はもちろん「ゲイだとバレること」です。
ですがそれはつまり、
「エディにゲイだとバレたくない」
につながるんじゃないでしょうか。
子どものころに、ゲームセンターで体験したことがトラウマになってるとも考えられます。拒絶される恐怖。
エディに限ってそんなことはないはず(私がエディの肩を持ってるだけですけど)ですが、
もしかしたら、もしかしたらエディにも気持ち悪いと思われるんじゃなかろうかと、そう思ってたんじゃないかな、と。
では、その恐怖が消えるには?となると
エディが死ぬこと、しか、なくないですか?
リッチーが本当の恐怖に打ち勝つためには、エディが死ぬことが不可欠だったんじゃないかな、と、私は思っているわけです。
そんなんあんまりやろ!!
と思う反面、エディがあそこで死んだ理由、また、ペニーワイズを倒せた理由、どうにも、そうとしか考えられないわけです。
だって仮に
「エディにゲイだと言って告白して、それでも友達でいられるエンド」
になったとしましょう。
それじゃ解決しないと思うんですよ。
「相手に嫌われているかもしれない」
という気持ちは一生ついて回ると思うんです。そしてそれは、下手をすれば「知られたくない」という恐怖よりもはるかに大きいものではないでしょうか。
自分がゲイであることがバレることを恐れている人間が、それをひた隠しにして生きてきた人間が、簡単に「もう大丈夫」って開き直れますかね。
無理ちゃう?
んで、リッチーはルーザーズクラブの面々に「ゲイだ」って言ってるわけでもないんですよね。
え?じゃあ、いつあなたは恐怖を克服したの?
となると、やっぱり皮肉にも「エディが死んだとき」なんじゃないかなって、思ってしまうんですよね。
つらつら書きましたが、こんなこと小説ですでに出てるわ、とかだったら大変恥ずかしいな。
今度小説も読みますね。
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