見出し画像

ちくまの寺山修司全集を読んだ

2022/5/30、読了。

中2の時の自分は、妙に寺山修司を敬遠するフシがあった。中2で寺山の詩集を読んでいるなんていかにも過ぎてダサい、というのがその理由だった。小学生男子が極限まで押し潰して作る、硬ってえ雪玉のような自意識である。

しかし結果的に、中2で寺山修司作品に出会わなくてよかったのかもしれない。もし出会っていたら確実にいかれてしまっていた。匂い立つアングラ!『ライチ☆光クラブ』に心酔するタイプのいかにもな中学生だった自分が、この世界観に触れて平然としていられたわけがないのだ。

個人的に母親への屈折した凄惨な愛がテーマになっている作品(押見修造『血の轍』etc.)が好きなので、本書のセレクトはわりに刺さった。戯曲《毛皮のマリー》の妖しい面白さには驚いた。美貌の男娼を主人公に据えた物語だが、舞台では美輪明宏が主役を担当したらしい。アテ書きなだけあって、これ以上ないくらいにぴったりだ。そのうち当時の舞台映像を観たい。寺山自身はひどく気に入らなかったようだが『長篇叙情詩 李庚順』も好き。最悪の果てに救いがあるという構造は、最近でいうと『ミッドサマー』を彷彿とさせる。

寺山は競馬評論を旺盛に行った。競馬はやったことがないので、どこに力点を置いて読めばいいのか足場に困りそうだと感じていたが、以前アメトーーク!の競馬大好き芸人の放送を観ていたのが思いがけず役に立った。かつての名馬の仔にあたる馬に思い入れが湧くくだりなど、そのままである。

寺山の魅力は、いま目の前で語られている物語が、インチキか真か咄嗟には判断しえないところにあると思う。エッセイでさえ油断はできない。寺山の美学は、真実をそのまま語ることにはなかったのだ。

願わくば、寺山プロデュースのアングラ演劇「天井桟敷」のパフォーマンスを観てみたかったものだが、寺山が没した今、それも叶わぬ夢である。

「上演時間の半分近くが真っ暗闇で,観客はそれぞれの想像力によって見えない部分を組み立て演劇を作りあげるという《盲人書簡》(1973,74)や,75年の4月19日午後3時から翌20日の午後9時にいたる30時間に,都内の二十数ヵ所で同時多発的に行われセンセーションを巻き起こした市街劇《ノック》,また観客席に多数の俳優を配して観客を不意打ちすることにより,観客自身を主人公としてその存在の意味を問う《観客席》(1978)」
-世界大百科事典から引用

ああ、ワクワクする!

p.s. と思っていたら、折り良く今週の日曜まで下北のザ・スズナリにて《盲人書簡》を上演しているらしい。しかも天井桟敷の後身にあたる万有引力によるもの。おいおいウソだろこんなことってあるのか?と思い、逸る心でチケットを買い求めようとしたが満席だった。そりゃそうか。上手く行き過ぎているものな。

この記事が参加している募集

#読書感想文

192,504件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?