見出し画像

【映画】アメリカン・サイコを観て思うこと。

こんにちは✨
気づけば今年もあと2ヶ月ですね。

9月に事業参入してからより一層、
日々があっという間に過ぎていく気がしています。
たくさんの人に支えられながら走り続けていられることに感謝の日々です。

さて、先日友人のJ君からオススメしてもらった
映画『アメリカン・サイコ』を鑑賞しました。

ーーーーー
※ネタバレに繋がる部分もあると思うため、ご注意ください。
ーーーーー

主人公のパトリック・ベイトマンは
ウォール街にある父親の会社(投資銀行系)で働くエリートビジネスマン。
※副社長という表現もありますが、それが事実か少しわからない部分も多いです。
その裏の顔は何の理由もなく殺害を行う快楽殺人鬼。

高学歴・高収入、
都心の一等地アッパーウェストサイドのアパートメントを借り、
身体作り、肌のメンテナンスも欠かさない。
昼間はジムに行って汗を流し、
食事はニューヨークでも指折りの高級レストランで同僚達とテーブルを囲む生活。

エリートビジネスマンの代表的な生活を送っている。

ベイトマンの同僚たちは
毎日のように顔を合わせ、飲みや食事も一緒に過ごしているものの、

同じようなブランドのスーツ、ネクタイに身を包み、髪型やメガネも類似のもの。
時に誰が誰かもわかっていないことがあるような描写もしばしば。

お互いのオリジナルの名刺を見せ合っては、
誰が一番優れているのか、お金をかけているのかなど
静かなるマウントの取り合いが繰り広げられ、
高級レストランの予約が取れたという自慢をし合うような関係。

実際の相手のことなど深くしることもなく、
表面的な関係で成り立っている関係が描写されていました。

そんなベイトマンは
昼はエリートビジネスマン。
夜は殺人への衝動が止められないという2面性を発揮しています。

物語が進むにつれてその激しさは増していきますが、
ただのサイコ的な話かというと、
社会的な風刺も含まれている映画だなとも思いました。

気さくそうに振る舞っているが、うわべだけの友人。
見えの張り合い。
個々のアイデンティティーの存在しない社会。

本当にわかりあう仲間の存在や理解し合える相手がいたら
ベイトマンの人生もまったく違う方向になったのではないだろうかと。

いい大学を出て、いい就職をすれば
人生豊かになるかというと、
そこにその豊かさで得られる体験や感動を分かち合う仲間がいなかったら、
結局はその喜びも半減してしまうのではないかと感じました。

私自身は一人で経験や体験することも好きではあるものの、
やはり誰かとそれを分かち合えるからこそ、
楽しみや喜びも増すなという経験が多かったので、
これからもこの考えは大切にしていこうと思っています。

作品としては非常に考えさせられるものであり、
一度見ただけでは全て理解できたとは言い切れませんが、
自分では中々みることのない分野だったためいい経験になりました。

おすすめしてくれたJ君には感謝します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?