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わたしはあの夜を憶えている

諸々の介護が必要になり、高校二年生のときからわたしの家族と、母方の祖父母は一緒に暮らすことになった。祖父母の住む1階のちょうどトイレの前の部屋が、わたしの部屋になった。

タクシーの運転手で、いわゆる「気難しい」と言われる性格の祖父は、昔から祖母や母には厳しかったがわたしには優しかった。元気な頃をもちろん覚えているので、だんだんと歩くのに手すりが必要になり、介護ベッドが必要になり、へんな咳をする祖父を受け容れられずにいたわたしは、部活やらなんやらと忙しいのを理由に、あまりきちんと接せずにいた。

大学生になったある日、ピアノの試験前で、珍しく家のピアノで練習をしているともそもそとトイレに行く祖父の足音が聞こえたが、開けたのはトイレのドアではなく私の部屋のドアだった。
「弾いてるんか」
今までそんなことがなかったので、もしかしたらこの先もこんなことがないかもしれない、となんとなく思ったわたしは、「入ったら」ととりあえず椅子を引きずり出して、祖父をそこに座らせた。「なんか弾こか。なんでも好きなん言っていいで」とは言ったものの、祖父がどんな音楽を好きだった記憶がなく、仕方がないので中学生の時に綾戸智恵さんにあこがれて買ったジャズの曲集を引っ張り出してきて、「どう?」と見せたら、なんだか嬉しそうになって、ぽつぽつと曲名を言うのでそれを弾くことにした。チュニジアの夜、虹のかなたに、二人でお茶を…知らない曲でもなるべく初見で弾くようにした。そして最後が「テネシー・ワルツ」だった。綾戸智恵さんの弾き語りにあこがれてこれはたくさん弾いて、本にも型がついていた。「これええな、懐かしいな」というので、わたしも嬉しくなって弾いた。2番までなのに、慣れないアドリブも入れてたくさん弾いた。

祖父が亡くなる前日に、母が祖父の病院にわたしたちを呼んだ。病室の前の部屋にオルガンがあって、看護師さんが弾いてもいいよと言ってくれた。色々弾いて、泣きながら弾いて、みんな泣いて、最後は「テネシー・ワルツ」を弾いた。それが祖父の前でピアノを弾いた最後になった。

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