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「今求められる演奏家って肩書と実力だけではないのかもね。お気に入りのカフェみたいなものと同じで誰かの好きにならないとダメなのかもしんない」

最近改めてこの記事を読んで、やっぱりそうだよなと思った。

「カッコ良いから売れる」

まったく同じことを考えていた。今までのわたしたち『クレモナ』はどちらかというとぼさっとした素人くさい女の子が、ポスティングをしたり駅前でコーヒーを配ったり、他人のコンサートの終演後にチラシを配ったり、子ども嫌いなのに子ども向けのステージをやったり、夏のイベントに汗まみれで出店して、ステージもやったり…云々、「クラシック音楽の大多数の人がやらない泥臭い仕事」をやっている姿をローカル(大阪府池田市中心)に発信して、「頑張っているから応援したい」と言って下さるファンの方を増やして活動をしてきた。

しかしこれは、「誰にもやらないことを誰にもできないくらいやっている」の指向性が「泥臭さ」に向いていて、しかもリアルの世界でわたしたちを見たことのある人たちだけに感じられる臭いで、オンラインの向こう側にいる誰かの心を説得して納得させて引き付けるには、パンチが足りていないのだと思う。

次のわたしたち【クレモナ】のフェーズのテーマは、「いかにカッコ良く魅せるか」にあると思う。
ブランド力、というのだろうか。こんな泥臭いこともやってるんだけど、その演奏やその発信はもの凄くクールだと思ってもらうこと。
お気に入りのカフェは美味しいコーヒーだけではお気に入りにならない。インテリアが好き、マスターが好き、室温が好き、空気感が好き、など人によって様々だが、「お気に入り」になるにはもっと多角的な面でブランド力を上げていきたいと思う。え、こいつらこんなこともやるの?というスパイスももちろん必要だと思う。
この活動に於いて今わたしたち【クレモナ】がわたしたちに求めることは、もっと多角的に魅力づくりをすること。だと思う。(もっぱら容姿ではだれにも敵わないのでそれ以外で)

今の時代、たとえはじめは有名でなくても、そのパーソナリティや様々な魅力を総合して、しっかりと正しい価値を伝達しさえすれば、ものが売れるようになっている。他人の意見や口コミ、有名さなんかよりも、この人が好きだから、このブランドが好きだから、ものを買う。表立ってはわからないけれど、全員にチャンスのある時代が来ている。

だから【クレモナ】は(もう20代も後半に差し掛かってるんだし)、色んなことも泥臭さも、この不揃いな容姿までもを総括して「カッコ良い」ユニットになりたい。

「どうして周りの同調圧力を勝手に想像してしまうんだろう?そもそも周りの目なんてないんだよ!」(8月8日)

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振り切れない原因は他人のせいでない。いつまでたっても自分のせいである。自分が他人の人生なんてどうでもいいと思っているのと同時に他人もわたしたちの人生なんて結局どうだっていいのだ。無関心といってもいい。

だからいくらでも自分の求める「カッコ良さ」を追求してもいいのだと思っている。

「Withコロナ、先進的だと思っていた事がやっぱり先進的だったんだと証明されたように思う。」(8月9日)

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この音楽業界でも飲食業界でも、結局のところ情報をしっかりと取り入れ、新しい技術を取り入れ、そして怠けなかった人たちがコロナ禍をくぐりぬけてきている。わたしたちもかくありたい。

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