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誰かの役に立とうと思わなくったって

noteを始めたときに、わたしもこんな風に文章で人の役に立てるようになりたいと思って、素敵なネタを探していた。
昔っから誰かを助けたり喜ばせることが好きだし、文章を書くのも好きだ。noteって素晴らしいSNSが出来たもんだと、わくわくしたもんだ。

老けた1年だった。

ただ、この1年は本当に大変だった。やりたいことがこんなにあって、フォーブスジャパンを読んだり、ほぼ日手帳に書き込んだり、趣味のハンドメイドアクセサリー作りに没頭したりしたかった。noteもせっかく素敵な賞をもらったのに、その人たちのコミュニティに入るところまで付き合いを広げることも出来ず、結局輪も広がらないままここまできた。
自分の練習時間を割くのもままならないことが多かった。

当たり前がわからない

余暇を楽しむために、一生懸命働いて仕事を早く終わらせる、時間にすき間を作る、というごく当たり前の生活ができないくらい、自分ってなんでこんなに能力が低いのかと、落胆して終わる日が続く日々が過ぎていった。
夏前に鬱だろうと思う症状があっても、初冬にインフルエンザだろうと思われる症状があっても、医者に行ったら「あったこと」になるので、なかったことにして歩き続けている。走ってはいないが、早歩きくらいで。

それでも仕事が大好きだ。

わたしは仕事が好きだ。好きなことを仕事にしているともいえる。だから、つんのめってしまうくらい仕事をする。月の労働時間は250時間なんかとうに超えて、普通に300時間を超える。
でもその300時間鉄の心でロボットのように働いているわけでもなく、一日の中でも一週間の中でもアップダウンが多々ある。
そうなったときに、どこかで自分の調整が必要に感じることがある。

書くことで整える。

例えば。思ったように言葉が出てこない。上手い表現が見つからない。説明できない。などなど。だいたいこういったときは文章を読む、そして書くことで整ってくる。TwitterやらFacebookやInstagramでは読んだ気がしないので(むしろ糸がもつれるような気がする)、なるべく本を読む。
が、書くとなると、他人の目を気にしだす。本音で書けなくなる。わたしというブランドを知っている人がいる。いっそ、ペンネームで全く別人格で作ろうか、とも思って、アカウントまで持ったが、結局忙殺されてしまい、積読の山のような「やりたいことリスト」にまた一行増やしただけになる。

誰かの役に立ちたいなんてクソくらえよ

しかし…案外みんな自分のことで精いっぱいで、自分のことしか考えず生きている。わたしが思っているほどみんなわたしのことを思っているわけではない。承認欲求と自己顕示欲、誰しもが持っているものだから、つまるところ本人以上に本人のことを気にしてくれる人なんてどこにもいないのだ。そのアドバイスがなんになるんだ?誰かの役に立ちたいという妙な承認欲求やよく見られたいブランドなんかクソくらえ。

ここでは好きにさせてもらいたい

それなら、もっと自由に書きたいと思う。好きなことを、嫌いなことを。Evernoteに個人的につらつらかくような閉塞感よりも、誰かが見ているかもしれない、けれど誰も見ていない妙な解放感と緊張感のバランスの間で好き勝手に文章を書きたい。自由になりたいのだ。

そして、誰かに出会う。

そして、誰かに出会えることが出来たら。と思う。どういう人が良いのかはわからないけれど、誰かに出会って、その誰かの文章をこっそりと読む。スキ!をつける。それでいいだろう。とりあえずのところは。

ということで

自分のリハビリ機関(期間)として好きなときに浮上してつららつららと文章を書いてみよう。誰か読んでくれるかもしれないが、誰も読んでいない文章を。

#note書き初め

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