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どーせむり、なのか?

小学生のころ通っていたそろばん教室の帰りみち、丁度今の時期には土手の桜並木が満開になっていて、花びらが舞い散る中「秘義・桜の舞!」とかいって自転車をフルスピードで駆け抜けていました。
友達と駆け抜けるその帰り道が子どもながらもとても美しく思えて 好きでした。でも、いつの日か何十本とある桜の木が全て切られてしまいました。

昨日の朝、桜並木があった場所を散歩しました。
当時「誰が(桜の木を切ることを)決めたの?もうどうにもならないの?」と親に聞いた時、「もう大人が決めたことだからどうしようもないよ」みたいなことを言われて、「何で大人って勝手に決めちゃうんだろう」「そうか、私が何を思ってもどーせむりなんだなぁ」と思ったことを思い出しました。

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※かつて桜並木だった場所は補整され散歩道になっていました。

小さなキッカケですが、既にこんな時期から「大人に意見をすること」の”どーせむり感”や「子どもにはどうにもできない」といった感情が生まれていたんだなぁと思います。

その当時の私の気持ちに触れて、大人になった私が「君の意見を聞かせてよ!」と子どもたちへ意見を求めた場面を振り返り、すごく酷な質問だったなぁと思います。普段から平等に意見を求められているわけでもないのに、都合の良い時だけ意見を求められるなんて。

改めて子どもたちが自ら自分の気持ちを表現出来る場や、人、雰囲気などなどを大事にしたいなぁと思ったのでした。併せて子どもの声に耳を傾けることも。
まさに、休校宣言が出てから始めた地元での遊び場はそれらのことを大事にしながら過ごしていました。
3月から始めて週2回、2か所で全9回開催しました。前回の記事でも紹介したように遊び場を開いたからこその出会いや声もありました。

残念ながら4月からも継続できるよう開催準備を進め、日程も決まっていたのですが、町内でコロナウイルスの感染があり、感染拡大を避けるため延期となりました。
日が経つにつれ状況は深刻化し、出来ることへの制限がかかってきました。

でも、だからといって、今の子どもたちの現状を「どーせむり」で済ませておいて良いのか?「やっぱり大人には何を言っても無理だよね」なんて思わせていいのか?・・・・悶々と考える日々です。今日はラインを使ったライブ中継やオープンチャットの開設をしてみました。

少しでも、子どもたちの声や気持ちをいつでも表現できる場や環境を何とか作ることが出来ればと思い模索中です。休みながらも考え続けることはやめないようにしたいです。

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※これは「自分、どうしたいん?」の気持ちワークショップを一人で開催した時の気持ちの1つ。

「どーせむり」の前に少しでも選択肢を提示できれば良いな・・・・と。
どうやって子どもたちの元にその情報を届けるの?等、課題はありますが。

かんがえつづけよう。引き続き、家で。

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