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タイケイコンプレックス

昔は、鼻が嫌いだった。
丸い顔が嫌だった。
歌を歌えるのは、母と私と弟だけの、ほんの数時間だった。

これは全て姉に言われてコンプレックスになったことだった。

「鼻丸い」
「顔丸い」
「うた下手」


だから、姉のいない時間しか歌わなかった。
姉と顔を合わせると何か言われる気がして、ずっと嫌いだった。

とはいえ子どもの言うことだから。
姉嫌いが段々なくなって1番仲良くなる頃には、姉は大学進学で上京した。

後から聞いた話だが、私が姉を嫌いであまり関わらなかったもんだから
姉が中高生ぐらいの頃
私が夜中寝ている時に泣きながら「ごめんね」と何度も謝ったことがあるらしい。

ごめん、ちょっと怖いわ笑
まぁ姉は姉でコンプレックスの塊だったから「鼻丸い」はきっと誰かに言われたのだろう。
私よりは丸くないからって、私に「鼻丸い」とか言う。嫌な顔すると「目が大きいからいいじゃん!」とか言っていた。羨ましかったらしい。だからいいって問題じゃないけど。

誰かの1評価で言われたことが
=可愛くない
=ブス
として、コンプレックスで残ったりする。


今もある大きなコンプレックスが、体型

私は、同じ食生活をしているはずなのに昔から兄姉より丸っこかった。
2人がガリガリとも言えるが。
夜中にアイスを食べてゴロゴロしている姉に「食べる?」と言われても、21時以降は何も食べないからと頑なに断る。

丸いと可愛くない、太るとブスだと思っているから。

それでも、姉と身長はほぼ同じなのに10kgくらいは私の方がいつも重かった。
骨が太くて、手首足首の太さが兄より太いとわかったとき、とてもとてもへこんだ。男の人より骨太って、なんだそれと。

小学4年生くらいでみんなより早く成長期が来て、みんなより早く160cmくらいになった。「大きいね」といつも言われた。
目立ちたくなくて酷く猫背になった。



黒板の上の方が消せなくてぴょんぴょんしてる子。私が消してあげると

「大きくていいね」

なんて満面の笑みで言う。
「お前ちっちゃくて自分可愛いと思ってるだろうが」と言い返したかった。
本気で小さいのが嫌な女子は、あんなあざといぴょんぴょんはしないぞ。自分小さいですとアピールしてるようなもんだからな。

どう頑張っても骨は細くならないし、身長は縮まない。
私からしたら身長伸びることはあり得るので夢があるが、縮むのはないので絶望的だ。いちいち「大きくていいね」と絶望を与えるんじゃない。
と、言いたい気持ちを抑えて「私はもうちょっと小さく生まれたかったよ」と言うと
「えーっおっきいと服が似合って〜!〜△⭐︎〇〇!!」

うっせえな、じゃあ大きくなれるよう頑張れよ。

と、頭で言って耳から耳へ流す。


細い友達より食が細くて、食事に行っても友達と一緒にデザートまで楽しめないくらいの頃が1番痩せていたけど、それでやっと普通体型の普通の体重。顔は相変わらず丸い。私の人生で顔が丸くなかった時はないと思っている。


とはいえ、さすがにそんな体型で生きていると変われないもんは仕方ないと諦めがついてくる。
体型は、努力してある程度は理想に近づけられるけど、太りたいのに太れない、細すぎるのがコンプレックスの子もいる。

結局、自分がどう思うかなのだ。
「自分の体を丸ごと愛そう」「そのまんまで既に美しい」とかまず思うのが大事とか聞くし、その大切さはわかる。
わかるけど、かと言って変わる可能性がある部分もあるのに自分丸ごとを愛するなんて、私には難しい。

極端なことをするとリバウンドするので努力の仕方はなかなか難しいのだが、それでも変えることは可能なはず。なのに、前より太った今の体型で美しいと思えと?どんなメンタルになればそこの域まで達するのだろう。


でも、もしかしたら、

最近1つ思うのは、どんな人といるかでコンプレックスも楽になるのかもしれないということ。


前に、私と身長が変わらなくて細身の人と付き合ったことがある。
彼は彼で、その体型が「弱そう」とコンプレックスだったが、彼は私にしょっちゅう「ガタイいいね」と言ってきた。
「気にしてるから言わないで」と言うと「骨が太くて可愛いよ」と言ってきた。

嘘つけ。その顔は嫌味だろうが。後から思うと自分のコンプレックスをぶつけたいがために私に言っていた気がする。「細くて女の子みたいで可愛いね」と言ってやればよかった。万が一会うことがあったら言ってやる笑

本人が気にしていたから私は決して言わなかった、というか体型で付き合ってるわけじゃないから言われなきゃ何も気にしないのに。
歯磨きしながらかかとを上げ下げするのが日課でやっていたら「筋肉つきすぎじゃない?俺よりつきやすくていいね」なんて言われてへこんでやめた。

彼といると、自分は太くてガタイが良くて女の子らしくないと思わされた。


また別の人と付き合ったときは、体型の話なんて私がしないと出てこなかった。
しょっちゅう「可愛い可愛い」と褒めてくれた。
だからか、自分は女の子だと思えた。

不思議なことに、見事に痩せた笑


この前、久々に会った人に「会うたび可愛くなってない?」と言われた。
数ヶ月前も「初めて会った時より綺麗になった」と言ってくれた人がいた。
本当に変わっているかはわからないけど。でも、

もしかして…?

と思ったのは、最近しょっちゅう話している人は私を「可愛い可愛い」と褒めまくってくれるのだ。くしゃみすら褒める。

そして先日はタンクトップ買ったけど、首詰まってるしどう着ようかな…と言っていた時に「ぴいちゃん言うほど気にならないよ?」と言われた。

とはいえ、せめて一回り細くなってから腕を出したい。

なんて思いつつ、こんな風に言ってくれる人と過ごしていればコンプレックスなんて気にならないのかもなと思う。
言葉は呪いとも言うが、呪いのように心に沁みこんでいて、その呪いを溶かすのも人の言葉なのかもしれない。


自信がないからこそ

私という奴は、ストレングスファインダーで「ポジティブ」がTop5に入るくらい強いのに、自信はなかったりする。

だから人が丸ごと自分にOKを出してくれると、ほっとする。
自分も丸ごとOKを出せる人と、過ごしていたい。



人の悩みを聞く人は「自分丸ごと愛してます」みたいなキラキラしている人も多くて、先導者のようなそっちの方が好まれるのかもしれない。

私はその域にはまだいけないし、いける気もしないけど
悩むし自分に嫌な部分もあるけど、それを受け止めて前に進もうとしているので、先導者ではなく隣で一緒に歩くようなスタンスならできる。

あなたと私の悩みは違うけど、お互い頑張ろうって、上からじゃなく横から言えるような雰囲気がいい。


「そのまんまがいい」と言い合うのは人によっては「甘え」や「現状維持」に見えるかもしれないが、私にとってはそうではない。
自分のまま向かいたい所に進みたいと思える、前を向けるエールの言葉なのだ。


コンプレックスや悩みは、必死に消そうとするよりも一緒にいる人を変えた方が自然とやさしく消えるのかもしれない。
他人にOKよりも、自分にOKを出す方が難しいのは、私だけじゃないだろうから。

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