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数学が苦手な人のパンづくり

最初から間違ってしまった。

ちゃんとクッキングスケールを出してきたところまでは良かったが、グラムとミリリットルの数量換算を考えずに、単純にグラム=ミリリットルとして、牛乳+水を計ってしまった。

そう、私はパンをつくろうとしている。

しかし、材料を混ぜ始めてまだ数分のその瞬間、もうダメかもしれないとも思っている。

生地がべちゃべちゃで、触っているだけで楽しいはずのパンづくりが、不安が募る物体を触っている感覚である。明らかに水分が多すぎる。

このパンづくりの早すぎるミスは、私の数学との関係性を想起するきっかけとなった。

10代の私は、入試にさえ合格すれば、数学とはおさらばだ。そう思っていた。

もちろんそうじゃなかった。

今になっても数学ができればな、と思うことが日常にポツポツと出てくる。

視力がよければ、と思うのと同じくらい。
数学ができれば、何か世界の見え方が違っていたかもしれない。
かけなくてもよい時間が生まれていたのではないか、と思ってしまう。

私は子どもの頃から、算数も数学も苦手だった。というか理系全般だめである。

親が他の人によく話す「子どもの頃の私」では、いかに算数ができなかったかが、落語のように語り継がれている。

子どもの頃の私は、数を数えるのが上手にできず、計算もできず、いつも手の指を使って数えていたそうなのだが、10以上になった瞬間「もう手の指がない」と切迫詰まった途端、ひらめいたように足の指を使って数え続けたそうなのだ。

数学ができないことを知っていたのは親だけではない。

中学で数学を教えていた副担任の先生にも「君の数学の点数じゃ、志望校は無理だろうね」と言われた。そのことを今でもはっきり覚えている。その悔しさから、アルコールランプがボッと音を立てて点火するように、闘志は燃えた。絶対に受かってやると。

その後数学の成績で5をとって、志望校にも合格し、悔しさも一旦は報われたものだが、入学した高校では自分とは比べものにならない、種類の違う頭の良さの人たちに囲まれて、私の数学のできなさ、そして理系全般のできなさがより一層際立つようになった。

高校二年の時だっただろうか。
朝昼晩と部活に精を出す一方、来年には受験が見えてきたところで、自分なりに一生懸命勉強した数学のテストで、人生初めての追試となった。

そわそわしながら追試に臨んだ日。
いろんなクラスの生徒が混じったそのクラスルームには、私を含め追試が終わり次第、即座に部活に行こうとしている、それぞれの部のユニフォームをまとった運動部の生徒でいっぱいだった。

そして私の恐らく当たっている予想では、彼らは勉強せずにテストを受け、この追試に至っているということだった。頭のいい人たちというのは、勉強しないものだということもこの高校でわかったことである。彼らは本当に必要な時まで本気を出さないようだった。そしてその時彼らが本気を出すべき相手は部活だったのだ。
追試は前にも経験済みといった感じで、いつもの調子でふざけあっている彼らを横目に、一生懸命勉強したのに追試になった私は一体何なのかと、とても哀しく、深刻に受けとめたことを覚えている。来年は受験であることを意識してか、自分の数学のできなさを、もう努力ではまかないきれないと悟った私は、いろいろな予備校を調べて、予算を出し、親に予備校に行かせてもらえないかお願いしたことを覚えている。

そしていつからか数学のためにちょこっと予備校へ通うことになった私は、とても評判のいい数学の先生のクラスに申し込んだものの、彼はバンバン生徒に質問を当てるタイプで大変恐ろしかった。私はどこの席に座れば当てられないかという計算に必死になった。

人間の視線というのは「左から右に動くものである」というような今となっては本当かどうかわからないようなどこかの理論を見つけ出し(私の記憶も怪しい。。)、左端の席に座ることを徹底した。左にいれば彼の視覚に入ったような入らないような感じで、すぐさま目線が中央に移っていくだろう、という数学ができない人の精一杯の計算であった。

しかし予備校に行っても、数学への苦手意識はすぐに解消されなかった。そして数列にとことん嫌気がさしていた。ある日、私は学年でもトップを争う数学のできるクラスメイトに話しかけた。彼とはほとんど話したことがなかったが、どうしても聞いてみたかった。

「どうしてそんなに数列ができるの?」と。

対する彼の答えは、

「数列なんて、ただの数字の並びじゃない」

と、痛快なほどにシンプルであった。

数学のできる人にはそんな風に見えているのかと。
見えている風景が違うのだと、その時分かった。

そしてこれは努力で埋められるものでもない、ということもどこかでわかっていたが、彼の一言でついに諦めがつくかのようだった。

それでも現実にはテストは頑張らないといけないし、受験も待っている。

そうして、私の数学・理系全般のできなさに、周りのできる友人たちは手を貸してくれた。私は物理でも6点をとってしまった(確か100点満点)。友人たちは、高校生でありながらすでに得意科目の専門家であるような、素晴らしい素質がある人たちばかりだった。数学ならばこの人たち、物理ならこの人、古典ならこの人と、頼りになる友人にお願いしては個別にコーチしてもらった。

努力だけが取り柄だった私は、友人や通わせてもらった予備校などのお陰で、高校三年になり数学で99点を取ったことで初めてこの苦手科目で一番になった。しかし99点を発表する先生の言葉に、クラス一同も先生もなぜか大爆笑であった。

予期せぬ反応にぽかんとする私だったが、「どうやったら一点減点されるようなミスができるのか」と、どうやら彼らにはそこが面白かったらしい。今となっては思い出せないが、結局は数学を本質的に理解できていなかった私は、暗記でカバーしていたはずで、暗記しているからこそ起きたミスだったように思う。

そうして本質的なものを掴めないまま、何とか入試を終え、数列の記号やらXやらで飾られた青い表紙の分厚い参考書をついに手放せると静かに喜んだ。
私には、何年かけてもその参考書の価値がわからないから。きれいな本だったが、持っていても仕方がないと思った。

しかし、入試のためだけだった数学への意識は、その後ほんの少しずつ変化している。なぜ学校で数学を教えてくれたかも、大人になってようやく噛みししめている。

イギリスに来てから出会った人の中に、「数学は美しい」といった人がいる。
彼によると、数学はアートなのだと。
アートという言葉で、私の中で初めて数学の見方が、数歩登った階段の上から景色を眺めるかのように、少し変わった。その時の彼とはなぜだか素数の話をしていたはずで、彼の本当に意味するところは理解できていないと思うが、数学の美しさをアートに例えてくれたことで、私にもつかみどころができた。

ダ・ヴィンチにも自然と興味が湧いた。

偶然出会い続ける理系のハウスメイトたちも、何気ない日常にサイエンスの面白さを持ち込んでくれた。

今まさに夢中で読んでいる「鹿男あをによし」でも、数学が大好きな先生が、奈良の大仏が立った時の身長から歩く速度を計算して、東京までどれくらいの時間で歩けるか、計算するくだりがあって、数学ができる人の発想はなんて面白いんだ、こんなことまで考えられるようになるのか、とワクワクできるようになった。

私の数学への距離は、動いたか動いてないかわからないくらいのスピードかもしれないが、こうして少しずつ変わっているのである。

今日のパンづくりでは最初から失敗してしまった。
自分の適当さと横着さもあるけれど、数学的な感覚がやっぱり抜け落ちているんだよなと思った。

しかし、持ち前の大ざっぱさで分量外の強力粉を足してごまかし、奈良の大仏がイギリスまで来るのにどれくらいかかるのかは全く想像がつかないため、その場で心の中でパンが膨らむことを祈り、膨らまなくてもせめて食べれることを願い、180度のオーブンの中差し入れた。

そうして不器用な人がつくったこのパンもちゃんと膨らんでくれた。
きっと色々他の手順もうまくできていなかったと思うけれど。
そんなできない私のことを、自らの力でカバーするかのように。
パンは膨らんで、この家に幸せな匂いをもたらしてくれた。
数学のできない私を見かねてパンが頑張ってくれたかのようだった。

数学と私の関係に今後どんな変化があるか、そこまで期待はしていないけど、長い目で見ていこうかなってと思う、パンづくりから意外な方向性に話が飛んでいった週末でした。


ギャラリー・パン
テクスチャーも大丈夫だった!
うずまきさん