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成年で未成年の嘆き

 唐突であるが、ちょっとした個人情報を晒そうと思う。小学生の頃からネットに触れてきておいて、ネットリテラシーが育まれていないわけではない。365日、SNSをする際には個人情報の流出防止を念頭に置いている。しかしながら、今日は閏日である。365日に含まれていないという屁理屈ぐらいはこねさせてほしい。

 来月になれば飲酒ができる歳になる。食の好みがじじくさいと同級生に言われた過去や、兄が酒好きであることから、将来酒好きになることは微妙に避けられぬことであるので、宅飲みを全力で楽しんでエンゲル係数が上がりそうで怖い、でも実際の生活水準は変わらないから楽しみと出費が増えるだけか?
 そんなことを最近ずっと考えていたら、まだ飲んでいないのに今朝強烈な眩暈がした。相手を想い続け、知らぬうちに同じものを好きになっている青春のワンシーンみたいで少し照れくさい。しかし私はこんな状況になったこともなければ、周囲にも見たことがないし、これが的を射た喩えなのかは甚だ疑問だ。

 兄を見てわかっていたが、わかりきっていたが、「大人は立派なものである」という理想像が砂上の楼閣であること、そしてきっとその楼閣も砂で建築されているということを激しく実感させられている。
 部屋の本棚にあるのは、本文と訳注とを反復横跳びし疲弊させられた末、愛読書たちの間に挟み、何かの間違いで読みたくなるようにお祈りしている論理哲学論考、その前で集まって談話をしているカエルやトカゲなどのフィギュア、プリッツの箱にぴったり収まったのでそのまま箱をケースにした2DSLL、その他あふれるほどの積み本。枕元にさえ砦を構築している。
 これが理想的な大人の姿であっていいはずがない。先ほどタイトル画像撮影にあたってブックカバーを一旦外し、付け直したもののうち4冊が逆さであったし、それに先日もアイボンの使い終えた液を誤飲した。
 絶対に立派と呼ばれてやるものか。

※そういえばペチペチとキーボードを叩いているときに疑問に思い、厚生労働省のページを閲覧したところ、生年が一致する人間は約110万人であり、私の誕生月は多少出生率が低いとのことなので、ざっと9万人程度の集団の1人であることが特定され、さらに兄がいるという情報から第二子以降であることも割れた(出生の半分ほどが長子である)ので、およそ4.5万人のうちの1人になってしまった。


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