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ヴァージン・スーサイズとCURE

はじまり

皆さんは映画の「ヴァージン・スーサイズ」と「CURE」をご覧になったことがあるだろうか。
監督もソフィア・コッポラと黒沢清という、性別も国籍も違う2人が描く映画に、私はひとつの共通点を見つけた(全然関係が無いかもしれない)。
それは、火をつけるライターである。
この文章はほとんどネタバレになっているのでご注意頂きたい。しかし、ネタバレになったところでこの2つの作品の良さは失われることなく、輝きを放つであろう。

ヴァージン・スーサイズ

「ヴァージン・スーサイズ」のあらすじをザックリと説明すると、地元で美人で有名な5人姉妹と、それに憧れる思春期真っ盛り男子が交流していくというストーリーである。
しかし、5人姉妹の両親(特に母親)は過保護なほどに娘達を大切にしているので恋愛なんてもってのほかといった状態で、それが行き過ぎるあまりに少女達に外出禁止令を出す。それに対して少年達はモールス信号などを使って交流をしていく。
そんな中、事件が起こる。末っ子が自殺してしまうのだ。そして、残された4人の少女達も後を追う。
さて、ここからが本題。ライターはどこに出てくるのか。それはラストシーン。少年たちがかつての少女たちの家の前に立ち、ライターを天に掲げ、火を点けたり、消したりする。それはかつてモールス信号で交流していた時のように。
少年たちは同じように少女たちにメッセージを伝えるのであった。

CURE

「CURE」こちらは打って変わってサスペンスホラーとなっている。
簡単にあらすじを言うと、各地で首元を「X字状」に切り裂かれた殺人事件が発生。実行犯はみなバラバラで何故自分がそんなことをしたのかが思い出せない、わからないといった状態。そんな中、萩原聖人演じる間宮という青年が捜査線上に浮上し、役所広司演じる刑事高部が対峙するといった話だ。
この作品ではライターがかなり大きな役割を担っている。それは間宮が使うライターや、吸う煙草の火を見た者がことごとく殺人を犯すようになるのだ。その火が心の奥を照らし出すように。
「太刀持て癒せ」

ちなみに、この映画は元々「伝道師」という題がつけられるはずだったらしい。

締め

この2つの作品に共通して言えることは、「ライター」が「なにか」を「伝える」役割を担っている事だ。
ヴァージン・スーサイズでは、少年たちからのメッセージを。
CUREでは、間宮から殺人者達への救いを。

自分では到底伝えきれない部分があるので、拙い文章になってしまい申し訳ない。そして、観たことが無い方はぜひ見てほしい。めちゃくちゃ面白いので。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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