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どうしても忘れられないゲーム〜その1『TEHKAN WORLD CUP(テーカンワールドカップ)』(1986年)

オイラの場合、1967年生まれという事が幸いし(もしくは災いとも言う)、テレビゲームと呼ばれるアーケードゲームやコンシューマーのゲーム機(家庭用ゲーム機)の歴史と共にに歩むことができた人生でした。

小学生中学年の頃にデパートの屋上で初めてPONG(ATARI社の激シンプルなテニスのテレビゲーム)に遭遇して以来、後のインベーダーやファミコンの出現、そしてカセットからディスクへ、さらに画質やCPUのクオリティの向上&オンラインで対戦ができるようになっていく、といったゲームの黎明から現在までの歴史を時系列で体感することができたのです。テメエの懐の莫大な日本円の喪失と引き換えに!爆死!

そんなムダを極めた霞のような自分テレビゲーム史の中で忘れられない作品というモノがいくつかあります。世間一般のゲームの歴史の評価とは別のディメンションで。

今回はその中の甘酸っぱい思い出のひとつ、『TEHKAN WORLD CUP(テーカンワールドカップ)』を紹介したいと思います。


このゲーム筐体が各地のゲームセンターに置かれていたのは1986年頃。

当時のオイラは19歳になっていました。すでに静岡の実家を離れて東京に移り住んでバンドの人生とかやっていましたが、夏休みの期間中は東京でこれといってやることも無かったので、実家の静岡に戻ってぼんやりとしたバイト生活をしていました。

当時、同級生で静岡で浪人生活をしていたK3(ケイゾー)という仲の良い友達がおり、K3とオイラのヒマなポンコツふたり組は夜な夜な落ち合って冷房がキンキンに効いた市内のゲームセンターでゲームをやりまくるという夏の過ごし方をしていました。当時はまだ風営法が無く、ゲームセンターは24時間営業していたのです。今考えるとなんて素敵。

そこで出会ったのがこのゲーム。一際巨大で鈍重なそのアップライトの筐体(立ってやるヤツね)は、見下ろし用の画面とデカいトラックボールとボタンのみというシンプルな構成。今はもうほとんど見かけることがなくなってしまったトラックボール操作のアーケード筐体ですが、当時の段階ではまだいくつか見かけることができたのです。

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コインを入れると唐突に始まるNEW WAVE調のアップテンポのサウンド。これが異常にハマってかっこ良く、当時のオイラはそれをしばらく聞き惚れてからプレイを始める程でした。

対人対戦もできた筐体なのですが、当時のオイラとK3は、どちらかというとコンピューターを撃破することに熱中していました。かわりばんこにコンピューターに挑戦。それをもう一人が傍らでサポーター役で応援!といった風に。しかもほぼ誰も居ないゲーセンで真夜中に。しょーもない。

オイラ達の毎回の鬼門はブラジル(黄色と紺のユニフォームのチーム)で、ほぼそこで跳ね返される日々でした。ムキになってどんだけやってもそこから先はなかなか無理。当時はネットや攻略本などという便利なシロモノは当然無く、そこまでのステージで通用していたペナルティエリア45度からのシュート(釜本と一緒!)が突然通用しなくなるという大きな壁でした。

それでもオイラとK3は夜な夜な集まって、親指の第一関節に血豆を作りながら(トラックボールの回し過ぎね)このTEHKAN WORLD CUPをプレイし続けたのでした。ひと夏の間ずっと。バカみたいに。

“19歳の何にもなれていない小僧たちが甘酸っぱい夏を過ごした!”というバイアスがかかっているという部分を差し引いてみても、この筐体は独特のマジックがかかっていたように思います。改めて今振り返ってみても。トラックボールを回す角度、強さによってアクションが変化するそのシステムは、ゲーセンにフィジカル的な要素と正確性を持ち込み、また、その操作体感が見事にサッカーというスポーツとリンクしていたからなのだと思います。

後にこのTEHKAN WORLD CUPの筐体を手に入れたくてマジで探したこともありましたが、状態の良い筐体を見つけるのは至難の業で、もはや記憶の中に存在するだけとなってしまいました。

できればもう一度プレイしてみたいと願います。スタジアムを彷彿とさせるあのアップライトの筐体で。真夜中に。冷房のキンキンに効いただだっ広い空間で。



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