見出し画像

Au pair ワーホリ カナダ生活342日目 「帰国」

 3月初旬、カナダから帰国した。
 自分が思う以上に日本へ馴染むことに違和感がなく、驚くくらい普通に日本の生活がすぐに始まった。さすがは母国というべきか。「あぁ、日本に帰ってきたんだ」という感慨もなく、空港のゲートを通って日本に帰ってきた。私の人生には、なんのドラマ性もないのだ。
 帰国して様々な人に、「日本はどうだ」と聞かれるが、母国は母国でしかなく、ただただ居心地の良い国であるということを再認識しただけだった。そもそも私は時差ボケをしないタチらしく、カナダに行っても翌日の朝にはきっちりと目が覚めたし、当然日本に帰ってきても翌日はきちんと朝6時半ごろに起きた。自分の中にある、ある種の鈍感さには感謝しかない。
 それでもやはりトラブルには遭う性質なのか、帰国前日のアラジンのミュージカルに行った話から帰国便で少しだけ困ったことがあったので、それを書いていこうと思う。



座席に「SBY」の文字

 帰国便の座席がずっと気になっていた私は、早くチェックインをしたかった。どうか窓際の席になりませんように。トイレが行きやすい座席でありますように。そう祈りながら帰国までの日を過ごしていた。
 帰国前日。私はアラジンのミュージカルを見に、プリンセス・ウェールズ劇場に来ていた。今回は何もトラブルなく、トロントの目的地に到着することができていた私のiPhoneにメールが届く。チェックインができるようになったという通知メールだったため、すぐに手続きにとりかかった。自動返信で送られてきたメールにはオンラインチェックインをした結果が届いており、素早くスマホをタップして座席をチェックしてみると、そこには「SBY」の文字。
 「こんな席、あったっけ…?」
 もしかして、ちょっぴりいい席なのかしら。少しだけ心弾ませながら意味を調べてみると、オーバーブッキングしている意味だという内容が目に入った。少しいい席が用意されているどころか、今回のフライトに私の座席はないらしい。このまま誰もキャンセルしなかった場合、明日帰国できずどこかで宿泊し、次の日になる可能性があるということだった。
 英語の喧騒で満たされた劇場のホールでひとり、「どうしてこう、はずれくじを引くのかしら」という思いでいっぱいだった。まあ人生なんとかなるだろうと思った私は手元のパンフレットを見つめ直す。さきほど、ボーイさんがくれたのだ。
 座席は前から2列目という非常に良い席だけれど、最端のため舞台セットによっては見れない場所があるということから、89CADというお得な値段になっているらしかった。この価格なら見に行こうと思い、チケットを手に入れた。2月に値段を見た時は座席が全部埋まっていたので、ちらほらとキャンセルが出たのだろうけれど、たくさんの人がいた。
 ボーイさんが扉を開ける。どうやら入場開始らしい。
 私は気分を入れ直して、ホールから会場に入った。

 私は30分前に到着していたので、入ってすぐにスタッフの人に席を案内された。座ってしばらくすると、大柄の白人女性が私の斜め前に立った。ずいぶんと大柄で、もしかしたらこの人の頭で見えなくなるかもしれないと一抹の不安を抱いたけれど、彼女が座っても問題なく舞台が見えた。
 ほっとしながら開演10分前になったころ。1人の白人女性が私を指さし、「そこは私の席よ」と言ってきた。
 「え?」と思った私は目を丸くして女性を見つめると、彼女は「絶対に私の席よ」と自信たっぷりだった。でも私はスタッフに案内されてここにいるのだから、私も合っているのではないかという疑惑しかなく、当惑していると彼女は大仰に何度もうなづきながら自信に満ちた目で私に退くよう促してくる。
 手元のチケットにもう一度目をやると、BB39と書かれている。そこではたと気づいた。私が座っているのは前から三番目の列であり、前からABCと続く座席表となっているため、ここはCC39ということになる。彼女の言う通り、私は間違って座っていたのだった。
 申し訳なくなって笑いながら謝ると、自分の座席に座る。さきほど違って思ったより座席が舞台に近く、しかも一番端なので、ぐっと見えづらくなってしまった。これはあまりよくない席かもしれないと落ち込んでいると、さきほど私が「この大柄な人のせいで舞台が見えづらくなるのでは…」と心配した原因となった白人の女性が声をかけてきた。
 「もしよければ、席を交換しませんか?」
 そう言われて、私は目を丸くすることしかできなかった。彼女の席は私よりも3席ほど中央側に寄っており、見やすい座席となっていた。その証拠に、その席は私が座っている席よりも30CADほど高かったはずだ。
 わざわざ見づらい席と交換する意図が全くわからず、「ええ…?」と反応していると、「もちろん、あなたがよければ」と優しく声を付け加えてくれた。
 彼女の思惑は全く分からなかったが、いい席で観れるに越したことはない。私は明日、帰国してしまうのだから。
 「ありがとう! ぜひ!」と元気よく頷くと、彼女は何度か満足げに頷いて私たちは席を交換した。
 帰り道、シッター先のお母さんが最後だからと車で家まで送ってくれたのだが、そのお母さんに話してみたところ、「大きい身体だったから一番端の方が足を伸ばせて楽だったのかもね」と言われ、なるほど確かにと納得してしまった。

 5分前くらいになって、1番前の座席に大学生くらいの男の子がやってきた。アジア人だ。ヘアスタイル的に韓国人か日本人のように思ったが、きょろきょろと挙動不審な様子から察するに、日本人なのではないかと思って見ていると、彼は舞台の写真を撮り始めた。覗き見するつもりはなかったが、薄暗いホール内ではスマホの画面がはっきりと見えてしまう。Instagramに投稿する写真にいれたテキストが日本語で、「やっぱり日本人はどこかおどおどしているからわかるんだ」と思った。
 ホールは全席埋まり、上映時間になった。
 色とりどりの人々がわっと出てくる。
 アラジンもジャスミンもすごく似ていて、ディズニーで見たイメージそのままだった。英語は何を言っているかわからなかったけれど、ストーリーを知っていたし、ミュージカルということもあって楽しく見ることができた。
 大柄なジーニーは大きな口を開けて忙しなく舞台上を駆け回り、唾がきらきらと照明に照らされるほど近い場所で見ていたので、迫力満点だった。ジャスミンのペットのトラは出てこなかったけれど、オウムのイアーゴは人間で出てきていた。ジャファーも似ていたし、時々笑いをはさむ相性抜群の悪役コンビ。
 アラジンの相方で小猿のアブーもいなかった。代わりに3人のトリオがいて彼らもよい味を出していた。イケメンのマッチョの男、小太りの男、小柄な男のトリオは出演数が多いわけではなかったものの、印象に残るキャラクターだった。
 そもそも役者の数自体そこまで多くはなかったけれど、いろんな服装や目まぐるしく変わる舞台セットの演出でたくさんの人が出てきたかのように感じられた。ガラスの仮面でマヤが舞台に出ていた時も、彼らのように、狭い空間とは思えなくなるくらい熱烈な瞬間をつくりだしていたのだろうかと思いながら舞台の幕が降りるのを見ていた。
 拍手をひとりきりし終えると、そろそろと劇場をあとにした。

 帰り道。ベビーシッター先のお母さんが「最後だし、時間が合えば送っていくよ」と言ってくれていたので、駅で無事合流する。シッター先のお母さんは本当に良くしてくれた。ナイアガラの滝にも連れて行ってくれたし、「シッターを頼んでよかった」とも言ってくれていた。お母さんが振る舞ってくれた手作り料理はどれも美味しく、ハンバーグもグラタンもブロッコリーのオーブン焼きもサラダもたくさん食べた。
 3人の子どもたちも可愛らしく、よいひとときを過ごさせてもらった。


帰国日

 帰国便はトロント・ピアソン空港を12時50分ごろ出発する予定だったので、ハミルトンバスセンターまでオペアファミリーに送ってもらい、バスでのんびりと向かう。
 オペアファミリーは以前帰国便について伝えたとき、空港まで送っていくというようなことを言っていたが、彼らは最後まで言ったこととは別のことをやる人たちだった。

 空港に着き、チェックインを済ませる前に座席の問題があった。エアカナダのカウンターを見つけ、勇気を出して座席について聞いてみる。英語を話すときは心底緊張する。1年前とちっとも変わらないけれど、聞く力だけは少し伸びていたので、なんとか理解した。とにかく1時間前にならないと分からないということだった。
 私は英語を話していても、ふとしたときに日本語が出てしまうタイプだ。「なるほど」「そういうことか」「ええと」など、言葉の前に発する意味のない言葉はつい日本語が出てしまう。このときも、「なるほど」か「そういうことか」みたいなことを言った気がしている。
 すると黒人の女性がぱっと目を輝かせて、「あなた、もしかして日本人?」と聞いてきた。「そうですよ! 日本人です」と答えると、「私、日本に行くのよ。おすすめはある?」と聞かれたので、拙い英語で何かしら答えたと思う。こういうとき、日本人であることがむずがゆい。誇らしくあるような、恥ずかしいような。なんとも言えない気持ちである。また後日カルガリーに遊びにいったことも日記におこそうと思っているのだけれど、カルガリーでも「あなた、日本人? 私、日本語勉強していたのよ」と言われて、優しくしてもらった記憶がある。
 多くの人は日本なんてちっとも気に留めていないと思うけれど、この極東にある小さな島国を気に入っている人たちが世界中にいて、なんとなくで日本語を選択したから話せる人もいれば、神社や日本の静かな雰囲気が好きだから日本語を勉強している人もいた。日本人はあまり、「あなた、どこどこ人
よね? 私、あなたの国の言語を勉強していたのよ」なんて言うことはないと思うので、私はこうやって声をかけられる度、不思議な気持ちになるのだった。「日本人ってやっぱり特別なのかも」なんて恥ずかしい傲慢な気持ちが少し芽生えるとともに、「日本人って他言語に対する興味関心が低いのかしら」と思った。日本人というより、私が、なのかもしれないけれど。

 乗り場に向かいながら飲み物とすだちのキャンディ缶を買う。椅子に腰掛けて搭乗時間を待っていると、シッター先のお母さんから連絡があった。私が今日飛行機に乗れないかもしれないということを知っていたので、「乗れそう?」と心配のメッセージを送ってきてくれていたのだ。私は、この優しい小柄だけれどパワフルなシッター先のお母さんが大好きだった。
 多分乗れそうですと送って、時間を潰す。
 搭乗時刻が迫ってきたので、カウンターに向かった。カウンターでアナウンスをしていた女性の英語が日本語アクセントだったので、私は安心して向かうことができた。
 カウンターの小柄な女性は本当に忙しそうにしていた。SBYとなっていることを伝えると、「せっかく来てくださったので相談なんですけど…」と話を持ちかけられる。
 どうやら誰もキャンセルが出ていないようだった。フライトを変更してほしいという相談で、してくれたら1000CAD(約10万円以上)をお渡しした上でフライトチケットも無料で変更するということだった。ただ、私はESTAを持っていないため、アメリカ経由にすることができず、女性は諦めて「大丈夫です」と悲しそうに呟いた。
 私はiPhoneの充電がしたかったので、先ほどの場所から移動し、カウンターテーブルに移動して座ると、中東系の女性の声をかけられる。「あなたもSBYなの? もしかしてもう席は空きがあるの?」と聞かれた。「まだないらしいですよ」と言うと、心底嫌そうに彼女はため息をついた。「今、私の夫が聞きに行ってるの。私も日本に行くのよ」と言う。
 私はただ帰国するだけなので正直日がずれようと気にしないけれど、旅行に行く人はホテルの予約もあるし、もし体験ツアーを予約していたらその日取りも全てぱあになるということなので、このフライトに乗れないということは一大事なのかということに気がついた。
 私は周囲を見渡すと、ほとんどカナダ人でアニメの服を着た人もいたが、ごく一部だった。

 その後もキャンセルが誰も出ないようで、とうとうオークションのように1人の溌剌とした男性が大声で「今キャンセルをしてくださるお客様を5名募集しています。キャンセルしてくださる方には1200CADをお渡しします」というアナウンスをする。先ほどよりも、値上がっている。
 その効果は絶大で、あっという間に人が集まった。その中には日本人の若い女性もいて、アメリカにいたことがありそうな雰囲気の人だったのでESTAを持っているんだろうなと思った。

 そういう運びで、私は無事に乗ることができた。
 14時間のフライトだ。あまり眠くなかったので、映画を4本見た。日本に向かう便なので、行きに比べて日本音声や字幕付きのもが多く、嬉しかった。私はラッキなーことに通路側の席で、フライト中2回ほどトイレに行ったのが、窓側の男性は一度も行かなかった。正直、恐怖に近い感情を彼に抱いた。トイレにも行かなければ、一度も席を立たなかったのだ。サイボーグ並みの耐久力を持った男性だと思った。
 私は映画を見ながらうとうとしたり、考え事をしたり、映画を楽しんだりしていた。機内食ではおそばが出て、嬉しかったがつゆが別で出されたので、アジア人や日本を知っている人でないと意味がわからないのではと思いながら食事を済ませる。
 長いフライトもあっという間に終わっていく。
 行きのフライトとは全く違う。緊張して少しだけ震える手で荷物を持ったり、冷や汗ばかりかいていた私はいない。特にカナダで何かを経験したわけではなかったけれど、この1年間で飛行機だけは多く乗った。もちろんそれは私の人生の中での比率の話なので、みなさんからしたら大したことない数なのだけれど。
 経験し、知ることは自分を強くする一番の成長剤だと思う。辛い思いをしていなくても、経験をするという行為は私たちに多くの知をもたらしてくれるのだ。飛行機だって一度も乗ったことがなければ乗り方はわからない。でも何度か乗れば乗れるようになる。
 私はカナダでこういった小さな経験をたくさんしたように思う。
 私の家庭環境はちっともよくなく、父と母の意向による教育が先行していたので私のやりたいことはほとんど叶えられなかった。だからこの年になってようやくみんなが当たり前に経験してきたことを、自分の手で自分に経験させている。だから恥ずかしいけれど、私がカナダで経験して得たことは小さなことばかりだ。幸運なことだと思う。


日本に到着

 日本に着くと、「日本だなぁ」と思いながら荷物の場所まで早足で歩いた。目に入るもの全て日本語だった。
 荷物の場所で待って自分のスーツケースを待っていると、「写真撮影禁止」の文字がでかでかと貼られていた。こんな質素で役所みたいなところの写真なんてそもそも撮らないし、撮影禁止の理由はなんだろうと思っていると、空港の警備スタッフ3人ほどとでかいカメラを持った若い韓国人女性たちが走ってきた。
 警備スタッフの女性は「撮影禁止」と書かれた大きな紙を持って彼女たちが撮影をしないように「やめてください!」と言いながらその紙を振り回して邪魔をする。韓国人女性はいかにも若いモデルのようなスタイルの子たちで、一眼レフの望遠レンズをつけている本格的に何かを撮ろうとしている気合の入りよう。彼女たちは笑いながら撮影をやめようとせず、不愉快な気持ちになった。
 撮影禁止エリアであることがわからないはずがないので、擁護のしようがない迷惑行為だった。他の韓国人にも迷惑な人たちだ。韓国人のイメージが下がるようなことは、しないほうがいいのに。
 何が楽しいのかわからないけれど、彼女たちはくすくすと笑いながらカメラを手に警備スタッフと攻防戦を繰り広げる。
 そもそも何をそんなに撮りたいのだろうか。
 そんなことを思っていると、スーツケースが落ちてきた。自分の荷物を受け取り、私もゲートを出た。
 すると、出待ちのような日本人女性が30人ほどいて、「もしかしてちょっとした芸能人が来ているのか?」という疑念がわく。だから彼女たちはあんなにも必死に撮影攻防戦をしていたのかもしれない。


帰国してから2ヶ月が経って

 働きもせず、ぼんやりとした日々を送っている。
 先月は石垣島へ旅行に行き、今週は台湾に旅行に行く。お金はないけれど、とりあえずやりたいと思ったことをやってみた。
 アルバータへの旅行と石垣島への旅行、台湾旅行もいずれnoteにまとめることができたらなと思っている。

 デザイナーだったのでフリーランスになることも考えたが、貯金をして大学にもう一度行きたいと思っているので、正社員で貯金ができるところを探そうかなという考えがここ最近しっくりき始めていた。
 ポートフォリオをしっかりとつくろうと思いながら、ついついゲームをしたり本を読んだりしてしまって、時間を無為に潰している。
 家にいると何もできなくなるので、図書館に行くようにしていた。
 図書館のありがたさをここ最近よく噛み締めている。
 子どもの頃はあんなにも入り浸っていたのに、中学高校とあがっていくうちにとんと行かなくなってしまった。学校内にある図書館の方が充実していたからだと思う。そのまま大人になり、本は自分で買うものとなってからは図書館に行くという考えは一切思い付かなかった。
 お金がない今は、本を買うのも躊躇う。そんなとき、パートナーから「家の近くに図書館があるよ」と教えてもらって、なんとなく来てみるとお金のない私の味方だと思った。
 こうやって国が知的な施設を提供してくれていることに、感謝の気持ちが芽生える。自分の税金がこういうところに使われているのなら、なんの文句もない。

 そういった貧乏のんびり生活を送る私を待ち受けていたのは、カナダと日本に対する確定申告だった。カナダの確定申告についてもまたまとめようと思う。

 まだまだたくさんまとめることが多くて、ネタに事欠かないようで安心している。
 コメントでも何人かの方から質問があって、ありがたい限りだった。みなさんの海外生活が、みなさんに良いものをもたらしますように。悪い出来事があったとしても、それが良いことにつながっていきますように。そう心の底から願っている。
 何か聞きたいことがあれば気軽にDMやコメントをしてもらえたらと思う。もし、顔も知らない誰かと話したくなったときや海外生活で憂鬱な気持ちになったとき、私に興味のある人は、オンライン通話でおしゃべりをしてみたら面白いかもしれない。
 一期一会でも、一年に一回連絡するような間柄でも。

 さて。
 1年の感想をまた後日書こうと思うけれど、これで一旦、カナダのオーペア記録は終わり。
 読んでくださったみなさん。お付き合いいただき、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?