映画『シン・仮面ライダー』感想

この記事は映画『シン・仮面ライダー』の感想です。
ガッツリ本編のネタバレを含むため未視聴の方はご遠慮下さい。











さて…とは言ったものの、どこから手を付けたらいいもんかな…。


とりあえず各主要人物に対する所感を述べながらストーリーの流れを追いかけてみます。

仮面ライダー/本郷猛
映画の冒頭。謎の組織に追い詰められる美女!黒服の戦闘員集団を従えるクモ怪人!万事休す、絶体絶命…!

突如、崖の上に現れる黒い影!

シャンシャンシャンシャンシャン……シュキイイイイイイイイイイイイイイン!!!テレレレレーテレレレレーテレレレレーテレレレレー!(劇場立体音響)

先生!!庵野くんが仮面ライダー1号のソフビを固く握りしめたまま手放しません!!!


そして戦闘員の集団を相手に無双する仮面ライダー。いやぁ~このアクションが(文字通りの意味で)破壊力抜群だった。

改造人間のなぁ!拳と蹴りはなぁ!!容易く骨肉を砕くんだよぉぉぉぉ!!!

という偏執が全開だった。

本郷猛、主人公でありながら内面の掘り下げ、“力”を欲するようになった理由については終盤まで語られなかったけれど、ルリ子の「コミュ障」評に準じるなら内面が未発達、故に純粋、故に危うい青年だった。

過去の悲劇、何がやるせないって父親が命を賭して守ろうとした『犯人』と『人質』の内、少なくとも『犯人』は父が撃たれた直後に同僚の警察官によって射殺されているんですよね。父は自らの正義に命を捧げても『加害者』までは救済できなかった。これは本郷の内面に大きく影を落としていたし、それが最終的にあの結末に繋がったんだと思う。『力』を持たなければ悪と戦うことはできないが、『力』だけでは悪に勝つことはできない。『弱さ』と紙一重の『優しさ』がなければ。

あと自分、原典の初代仮面ライダーは最初の数話しか見ていないニワカなんですけど、冒頭のクモオーグが仕掛けた爆弾が爆発した瞬間に脱出成功するのは初代のオマージュ(爆風を利用してベルトの風車を回転させて変身するエピソード)ですよね?

『シン』シリーズ、何が元ネタなのかまでは拾えきれないが鑑賞中は絶えず(ちきしょー絶対に見落としているところあるな…)とTV放送で煉獄を見た佐川徳夫の気持ちを味わい続ける羽目になる。

緑川ルリ子
三次元で綾波レイを演じても浜辺美波の顔面偏差値ならゴリ押しできることが分かった。
無論、本人の容姿のみならず演技力あっての偉業である、という背景は大前提として。

いや~、しかし何やっても美人だな浜辺美波…気絶して横たわって前髪が瞼にかかっているだけで国宝級の顔面だもんな…本物の美人は鼻うがいする時も美人なのだろうと確信させる美貌だった。

「私は用意周到なの」という決め台詞に関しては恐らく溢れんばかりの才能に恵まれプラーナ関連の技術を発展させながらショッカーに囲われ利用されていたダメ親父に対する反感も少なからず含まれていたと思うが…。

本郷猛をコミュ障呼ばわりしていたけど彼女もまあまあ喋るタイプのコミュ障だったと思う。

「ところがぎっちょん!」←かわいい。

クモオーグ

ごめん。1番好き。


殺戮を好む残虐な本性と紳士的な言動が決して相反するものではなく、同類である仮面ライダー=バッタオーグを殺しかけていた時は本気で嘆いていたように見えた描写からも単なる快楽殺人鬼とは一線を画していたように思える。

任務の過程で殺人を楽しみつつもルリ子に対しては殺人衝動を抑えて任務の遂行を優先したり、仮面ライダーの戦闘スタイルを冷静に分析して対処したり、両手を後ろに組みながら攻撃を躱し続けるアクションだったり、ジッパー付けまくり上着&ショッカーロゴ付けまくり左右非対称ズボンのファッションだったり、全てがスタイリッシュで最高。

『仮面ライダーBLACKSUN』でも同様の現象が見られたが後から思い返してみれば序盤のクモ怪人が明らかに上澄みでコイツが最初に殺られたの組織にとって痛手すぎない?

ぶっちゃけ冒頭のVSクモオーグまでが俺の求めていた『シン・仮面ライダー』ド直球すぎて、この時点でチケット代の元は取れた感があった。

コウモリオーグ
彼に関しては常に素の異形を晒し続けて令和ナイズされたコスプレをしなかったせいで特に際立って昭和の怪奇色が強い。

「しまりました!空中では私が圧倒的に不利ィ!!」のクモ先輩に続き、搦め手の人質作戦→主人公とヒロインはプラーナで攻略→空を飛べる私に貴様のジャンプ力では届くまい!→バイクで飛距離を稼ぎライダーキック→うぎゃあああああああああああああ!のコウモリさんも2番手怪人として理想の立ち振る舞いだったように思える。

ここから先なんだ…この映画が狂っていくのは…!

サソリオーグ   
サソリのコスプレに身を包んだルー語の痴女が仮面ライダーと戦うまでもなく特殊部隊の物量に押し切られて嬌声を上げながら画面外で死んでいった。ごめんなさい。こういう時どんな顔すればいいかわからないの。

何だったんだ、あのルー語は。『BLACKSUN』のルー大柴はルー語を封印していただろ。

『シン・ウルトラマン』以降、庵野監督は長澤まさみを辱める愉しみを覚えてしまったのだろうか?


ハチオーグ
禁断の『毒虫系女幹部』“二度打ち”
『仮面ライダー』を見ていたと思ったら突然『キル・ビル』が始まった。
「私はルリ子を泣かせたいの」「私で切なくなって!!」「あなたのオモチャ(本郷猛)を目の前で壊してあげる!!!」

……えぇ?!?

何の何の何!?

こんなんさぁ…! 絶対アレじゃん!


同人誌が見たいわ!


この2人の同人誌を見せてちょうだい!!


ハチオーグを倒した後にルリ子が本郷猛の胸を借りて泣いて以降、一気に感情表現豊かになるのも良かったですね。それ以前もずっと内側に感情を抑圧していただけだったんだろうなぁ、と思えて。

カマキリ・カメレオン(K.K)オーグ
なんかコイツもコイツで面白すぎる。
初の3種構成オーグ。多分バチクソ難易度高い改造手術だったので仮に失敗して死んだところで最も組織に損害が少ないという理由で選ばれた被検体なのだろうと推測される。コイツだけ見るからにオーグとしての哲学や狂気がペラッペラ過ぎて逆に好感しか沸いてこない。

「ボクの超絶素敵カマキリマスクがぁ…!」

「オーグは素の肉体が異形に変異するがそれはそれとしてコスプレは外付け」という世界観は庵野監督の一貫した“怪人”に対する美学が窺える。

死の直前に漏らしたのは敵への恨み言じゃなくてクモ先輩への謝罪だし三下ヒャッハー系殺人鬼でもクモ先輩の存命時は先走りがちなKK後輩を優しく窘める光景がショッカーにおける日常だったんだろうなぁ…。

同人誌が見たいわ!!

この2人の同人誌を見せてちょうだい!!!


緑川イチロー/チョウオーグ/仮面ライダー第0号

『蝶』をモチーフとして合気道や舞踊を思わせる軽やかなアクションに対して、舞台俳優でありながらダンサーの経歴を持つ森山未來さんというキャスティングがドンピシャでした。(ドラマ版『岸辺露伴は動かない』の『くしゃがら』で志士十五を演じた役者さんです)
『仮面ライダー第0号』という激アツ概念、過去のライダー作品では触れられたことあるんですかね?自分は本作で初めて聞いた瞬間に(やりやがった!)となりましたが…。

接触を阻む心の壁、全人類が一体となる計画、精神世界の対話…。

これほどまでに原典をリスペクトしながら作家性が揺るがないことあるんだ…。


仮面ライダー第2号/一文字隼人
う~ん、ナイスガイ。
全体的に暗い本作の、特にルリ子退場以降の終盤において1人で清涼剤の役割を果たしてくれた男でした。
「『バイクは孤独を楽しめる』、そこが好きだ」
ツーリング然り、キャンプ然り、サウナ然り、ラーメン然り、…………

もしかすると独身男性って“孤独を楽しめる”趣味以外は趣味として楽しめないのか???


それはそれとして『シン・仮面ライダー』、マジで『仮面』と『バイク』に対しては真摯に向き合っている作品なんですよね。

そもそも「仮面ライダーの存在意義とは何ぞや?」という原点に立ち返ると「仮面ライダー=本郷猛(一文字隼人)は改造人間である。彼を改造したショッカーは世界征服を企む悪の秘密結社である。仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと戦うのだ!」に行き着くんですよ。
誰よりも群れることを嫌い、『自由』を愛した一文字隼人がショッカーの『改造手術』『洗脳』によって『自由』という尊厳を冒された後、自分の意志で仲間と肩を並べて組織に属し、己の『自由』を切り捨てながらも人々の『自由』を守るためショッカーと戦い続ける人生を選ぶ。
そして「バイクは孤独を楽しめる」と語っていた一文字隼人は本郷猛という仲間の心が宿った仮面を被りバイクで疾走して次の戦場へ向かうEND…

色々と言われている『シン・仮面ライダー』だけど仮面ライダー第2号/一文字隼人の物語に関してはガチで完成度高くないですか?

……不思議だ。
自分は漫画や映画をレビューする際は作品の構成要素を分解して、端的に言えば箇条書きして語っていく手法を意識しているんですけど、こうして各パーツを分解して語っていくと、まるで『シン・仮面ライダー』は全て面白い要素だけで構成された名作だったんじゃないかと思えてくる。

でも実際は映画って地続きだから、通しで見るとなんかガタガタしているというか、ツギハギが目につくというか、全体を俯瞰すると明らかに偏り・歪み・捻れが生じている。

大雑把に分けても、
序盤:昭和の怪奇色を色濃く残しつつ最先端の映像美で令和に蘇ったスタイリッシュ・ヒーロー・アクション(繰り返すが、あくまでも個人的には、この序盤のノリを120分続けてくれたら絶頂を迎え昇天していた自信がある)
中盤:激重百合キル・ビル
終盤:人類補完計画
という感じで絶えずコンパスの針が狂いまくるので観客は悪酔いする。
もっと言えば『仮面ライダー』と『庵野秀明』がお互いに濃すぎてチェイサーの役割を果たしておらずカクテルとしても完全に混ざり合っていないので飲み干す直前でグラスの底に沈殿していた『庵野秀明』が一気に口内を蹂躙する。

しかしそこは巨匠・庵野秀明、俺らが指摘するような問題点はとっくに織り込み済みだと思うんですよ。ただ庵野監督なりの仮面ライダーに対する『愛』を貫く姿勢に比べたら作品全体のバランス調整……端的に言えば『見やすさ』なんぞ些事だと捉えているだけなんだと思います。

何なんだろうね…『シン・仮面ライダー』……俺は楽しめた…いや本当に心の底から楽しめたと胸を張って言えるかは分からないんだけど、少なくとも1度観賞してからずっと『シン・仮面ライダー』が脳裏にこびり付いて離れないのは確かなので、『賛』か『否』を問われたら『賛』の立場でありたいんだけど、『否』の意見には何も反論できないし特に反論する気も起きない。そんな映画だ。
決して『完全』や『無欠』ではないんだけど『極限』ではあった。そんな映画だ。
まあ今更言うことでもないんだけど言わせて欲しい。
この映画、『行間』がデカ過ぎるよ…
作品の50%ぐらい『行間』で構成されているんじゃないか…?
観客に全幅の信頼を寄せているか観客を見捨てているか、どちらかだよ…

ところがぎっちょん!

そんな『シン・仮面ライダー』のクソデカ行間を補完する作品を見つけてきました。私は用意周到なの。

『シン・仮面ライダー』の前日譚。映画鑑賞後に存在を知り、とりあえず最新話まで追いついたのですが、緑川博士とイチローがショッカーに入った経緯、クモ先輩、サソリ姉さんの掘り下げ、ショッカーの理念…映画本編で欠落していた説明が全て描かれている。心スッキリだ。

イチローとサソリ姉さんの絡みに対して「しまりました!おねショタでは私が圧倒的に不利ィ!!」という映画だけ見た人間には気が触れたとしか思われない感想を抱く漫画なのですが、恐らく俺が欲していたルリ子×ハチオーグの百合とかクモ先輩×KK後輩の百合とかも将来的には公式が最大手として補完してくれそうな期待がある。

名作漫画には布教を。

それが私の仕事です。

















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