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「自己肯定感」がわからない

最近よく聞く「自己肯定感」がわからない。

そう口にしたら、「それはあなたに自己肯定感しかないから」と複数の知的な方々に言われ、説明もしていただいたのですが、まだ腹落ちしていないです。

自己肯定感=自分の良いところも悪いところも自分として受け入れること 

というのが、説明していただいた要点で、その点では確かに私はどちらも受け入れてはいるのですが、それ以前に自分の良いところとか悪いところなんて特に考えないし、自分が好きでも嫌いでもなく「ふつう」。

みなさん、そんなに頻繁に「自分て」と考えてるのでしょうか。

腹落ちしない理由を曖昧ながらも考えてみると、「自分の悪い点を受け入れられない」ってどういうことなのかがピンとこないのです。「気が付かない」ならわかるのだけど、受け入れるも入れないも、それは現実にあるもので、

①改善する 

②物事には良い面も悪い面もあるので見るアングルを変える 

くらいな対処法しかないと思うのです。

悪い点があることを認識しながらも受け入れないというと、それって例えば私が自分の胸のカップサイズを認識しつつ、下着屋さんでFカップのブラを買う、みたいな話なのではないかと想像されます。

この場合、私にできるのは

①育乳に取り組む 

②巨乳じゃないと走っても揺れないし、重くないし、ナイトブラしなくていいしメリット多い、と利点に感謝する 

しかないと思うのです。一方で、受け入れないパターンは

・買ったFカップのブラを握りしめて泣く

・切り刻んで捨てる

みたいな話?

それはそれで、シュールで画としては魅力があり、嫌いではないですw。

そんなことをSNSで呟いたら、いくつかのリプをいただいて、その中で興味深いと思ったのが、

「これは、どうやら自己肯定する必要がある人という前提の話だと。自己を肯定する、否定する、人は知らないうちにどちらもやっているとして、そのバランスが否定側に大きく傾いている場合、矯正が必要だと。おっぱいの話で言うと、胸が小さい=だから女性として魅力がない=モテない=不幸せだ=生きている価値もない、、、と連鎖して自分の可能性や人としての価値まで自ら下げてしまうので、そのような場合肯定側にもっとバランスを持っていきましょう、と。で問題は自己否定バランスの高い人は自分の肯定すべきポイントを発見できない、と言う精神的盲目であったり、もしくは思い込みの世界で否定的視点しか持っていなかったりするので、胸は小さいが可愛いとか思えるようにする、と言う自己肯定感ですね。人間の脳のなせる技は、恐ろしいほどにその人を呪縛支配しているので、肯定的な脳思考する人からすると、否定的脳思考の世界は全く理解できないと思います。そして、最大の問題は、自己否定感を他者から押し付けられて、ある種の洗脳状態で自己否定になってしまっている人もいると言うことです。その様な人個人の為にも、社会のためにもちょうど良い自己肯定バランスの人が多い方がいいと言うことですね。自己肯定も度が過ぎると、神の様に振舞って、殺人ですら肯定する人も現れていますからね。」

というものと、

「自己肯定感って『生きていても良い』と思えるかどうかなんですよね。
『生きていくしかない』と思う人にはわからない感覚。
そしてベースにあるのは社会が豊かになったということ。」

というものでした。

なるほど。確かに私は「生きていくしかない」と思う派だわ。

でも、なんというか、この昨今の「自己肯定感」ブームは、文化に左右されるような「ほど良さ」とか「塩梅」がある自己肯定感と、もっと本質的な自己肯定が一緒くたにされて、正体が見えにくくなっている気もしています。

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