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上越市で平和について考える

特に上越市にお住まいの方、

上越市に平和記念公園があることをご存知ですか?

そして、なぜ上越市に平和記念公園があるか知っていますか?

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かつて直江津には捕虜収容所が存在した

直江津捕虜収容所跡地で、上越日豪協会の方のお話を聞きました。

戦時中、直江津にはオーストラリアをはじめとした捕虜の収容所がありました。

古い塩の倉庫を改築した粗末な環境の中で、300名の捕虜が収容され、過酷な労働を課されたといいます。

昭和18年の冬は寒さも厳しく、労働環境や医療環境、食糧の不十分さも相まって60名もの捕虜の方が命を落としました。

これは日本各地に存在していた捕虜収容所の中でもとりわけ多い数だそうです。

終戦後、当時の収容所職員が責任を問われ、戦争裁判により処刑されたという事実もあります。

この辺りは「貝になった男~直江津捕虜収容所事件~」(上坂冬子, 1986,文藝春秋)でも描かれています。

学び、伝える

さて、その後に見学者で「どうやってこれを伝えていくか」について意見交流しました。

正しい情報を、熱量のある人が子どもに伝えることが必要という意見が出ました。

しかし、ここがまた難しく、市民が行政に働きかけ、行政が学校現場に通達し、それを受けた教師が子どもに伝えるという経路を考えると、

市民→行政→教育委員会→学校→教員→子ども

となります。

子どもにたどり着くまでに幾重にもフィルターがかかると熱量も減衰していってしまう。これはあらゆる教育について言えることかもしれません。

この平和記念公園落成までは猛烈な市民活動がなされたことも今日併せて学びました。そして今日までそれが連綿と受け継がれています。

教育が重要であることは疑いようがありませんが、上記のルートだけでなく、

市民→子ども

というルートが実はダイレクトに伝わるものが大きいのかなとも思います。

または、

市民→教員→子ども でもいいし

市民→学校→子ども があっても良いかもしれません

組織的に行うには、社会教育、学校評議員、学校運営協議会などを活用する方法があるかもしれません。

でも現代的には雑多な方法でさまざまな形での教育が実現していく地域こそ教育力が高い地域、学校になっていくのかなと思います。

市民として、教員として、はたまたそれ以外の立場として、雑多な方法を繰り出せるか、チャレンジが続きます。

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