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子どもは育っていく【訪問:瀬戸ツクルスクール】

愛知県は瀬戸市の瀬戸ツクルスクール(小1〜中3)と瀬戸プラクティカルカレッジ(高校生)を見学しました。

ツクルスクールについて

一尾さんの運営するオルタナティブスクールで、「市民立」という形で設置・運営されています。
活動実費や昼食代、水道光熱費などの費用のみを集金し、授業料は無料で運営されているスクールです。
(と言葉で書くと簡単ですが、徴収している金額は公立学校のそれを下回るという凄まじい状況)

人が生きていく上で大切なのは安心感であり、そしてそれを担保していた大きな要素はこれまで会社であった。しかし、それが崩れかかっている状況で、安心感をどこで保証したら良いか…。
この、人が幸せであるためにはどうしたら良いか、からスタートしてスクールが設計されていました。
そこから論理を積み上げているのでスクールの精神に透明性が高く、非常にオープンソースであると感じました。

今日はセンターデー(学習センターで過ごす日)午前の学習タイム、昼食タイム、午後のフリータイムの構成でした。

お昼300円

お昼は一人300円です。これをうまくやりくりして買い物してくる子もいれば、調理室でつくる子どももいます。調理する子の中には300円でオーダーに答えるシステムを構築している人もいて、今日は私もかけうどんを注文しました。量がすごかった。美味。2人で4種類もの食事を用意する大変クリエイティブな時間でした。

エリクソンの発達が本当に見える

「子どもにのびのびと活動する場を担保すると、エリクソンの発達が本当だ」と実感するという言葉が印象的でした。
低学年の過集中、中学年くらいから人間関係を構築して社会性が生まれ、思春期に入ると自己について悩みを深める。
フリータイムを使って、自然と子供が大人になっていくという様子は、スクールに集まっている子どもたちをみると大変納得が行きました。
一方、学校は子どもに大人のことをさせることで子どものままにさせる。パラドックスのようでその通りだと思います。

ヒドゥンカリキュラムが主たるカリキュラム

子どもたちが過ごす時間の多くはフリータイムで構成されていて、それぞれが関係性の中で思い思いのことをしています。
逆に言えば構成的なカリキュラムがほとんどないとも言えます。
それでも子どもたちが育っていくということは、隠れたカリキュラムがカリキュラムの本体として機能しているのだということでしょう。
それは建学の精神であり、スクールのポリシーであり、一尾さんの考えそのものなのではないかと感じました。

本当に実現したいなら個人事業主

自分のビジョンを実現するのであれば、そのスピード感、フットワークの軽さを考えると個人事業主が最適解である。複数人での営みでは、意見のすり合わせや、待機時間が生じるというデメリットがある。という対話もありました。大抵1+1でも2にしかならない、それならば早さと軽さの取れる個人事業でやれる範囲でやる方がストレスなくできる、ということを聞き、数十人で営んでいる学校現場ではすり合わせの連続だということも思い返しました。人とのつながりを生かし協働することと、一人で走っていく場面、どのように考えていくと良いのか、問いを投げ込まれた感じがします。

テプラクティカルカレッジについて

ツクルスクール卒業生を中心に高校生年代の生徒たちが学んでいるスクールです。個人事業主スキルを教育することをコンセプトにしています

のびのびと育ってきたツクル生が個人事業主としてキャリアを歩んでいくべく、こちらは学年ごとにカリキュラムが組まれています。
今日は運良く3年生?の学習の様子を見学することができました。

活動中心でコアな学び

具体内容を記載するのは避けますが、ビジネスを意識したアウトプットをふんだんに取り入れた授業内容でした。
生徒はアルバイトをしながら自らの学費も稼ぎ、社会とのつながりも深めています。
すごく落ち着いた雰囲気の3年生ですが、雰囲気とは裏腹に学びへのかなりの熱量を感じます。
そして、今日飛び込みで見学した素人の私をはるかに凌駕する経営に関する知識や技能を確かに有していました。
そして、公立の学校にほとんど通っていないという生徒が誰なのか?それはもはやわかりません。

一貫教育

一貫教育というと単線型のレールの上を歩んでいくことをイメージします。
しかし、子どもはそれぞれの段階で発達課題を抱え、それぞれの手段で乗り越えて大人に近づいていきます。
ツクルスクール、プラカレではそれぞれの発達課題を乗り越える余地を子どもたちに担保し、彼らが大人になっていくのを妨げないような仕組みになっている印象を受けました。
あのカオスなツクル1年生がプラカレ3年生になっていく様はとっても興味深いです。(本当に誰か研究したらいいと思う)
公立の学校では、小1から高3まで授業という枠組みで学ぶという、いわば「変わり映えしない形」で12年間を過ごします。
小1にとっては大人であることを急に求め、高3でも大枠では同じことをしていることに無理が生じるよなあとも思います。

見て、浸って

正直、事前に教えていただいた情報や、仲間から聞いた話でこれらの枠組は知識として得ていました。
しかし百聞は一見に如かず、子どもたちの中に浸り、スクールの様子を見て、そして一尾さんとお話してようやく肌で感じることができたものがたくさんあります。
それでも一尾さん「1週間浸ってようやくわかるかもね」
訪問のたびに繰り返していますが、一度見て何かがわかるわけではないのを再確認しました。
プラカレ生の今後の成長がすごく気になります。

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