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夢見る校長先生

先日、映画「夢見る<公立>校長先生」を鑑賞しました。

<公立>が入っていることを鑑賞直後まで気づかなかった。

それぞれの(元)校長先生の実践や活躍は見聞きしているところもあったため、発見というよりは、声を聞き、映像で姿を見て確かめる、という感触が近かったと言おうか。

こうした「従来の学校教育のありようを問う映画」が商業ベースに乗るという世相を思う。実践現場でのギャップをどう解釈した良いか迷う。

全体に子どもの権利条約が引かれていることや、西郷元校長の言葉が印象に残る。

…欲が出る、生まれたときは生まれてきてくれてありがとうと思っていたはずなのに、あれもできてこれもできてほしいと親の願いが大きくなる。勉強しろ、あれせいこれせい。でも、明日、いなくなってしまうと考えたら、本当にそれを求めるのか。ありのままのあなたでいいんだよというメッセージこそではないか。
西野さんのお話がリフレインする。

ありのままのあなたでいい、と子どもに伝えるには、大人自身もありのままのあなたでいい、と認め合える社会であることが前提になる。
そんな意味で、こども中心と同時に、当事者中心の社会を作っていきたいと考えるのでありました。

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