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こういう形で同僚に恵まれるということもある

3年間持ち上がった生徒に「先生のおかげで変わることができた」なんて言われたことがあります。

私は「確かにあなたは変わったように感じるが、それは私のおかげではないです。変わろうとしたあなた自身と、それを支えた周囲の人のおかげです。」と伝えました。

長く(深く)付き合っていると情が湧きます。そんなこと言われたら嬉しいし、教師冥利に尽きるなんてかつては考えていましたが、それはやめました。

生徒を取り巻いている環境の中で、確かに教員は大きな要素の一つではありますが、それが全てではないと思います。
ましてや、本人が行動することや、周囲がそれを見守ったり励ましたりする環境でなければ、成長は難しいはずです。

さらに、「先生のおかげで成長できた」なんて思ってもらったら、「自身の手で自己変革した手応え」や「周囲への感謝」が希薄になる弊害さえ孕んでいると考えます。
この一年で、人の振る舞いや成長は環境、特に準拠集団によるという観念が形成されたから尚更。

何度か、そんなやりとりを繰り返していたら、その生徒が発するのは「みんなのおかげで成長できた」という言葉に変わっていました。
(その刷り込みの意味では教師の影響は大きいのかも(笑))

そのときの同僚はこの感性も共有できていたなと感じます。
私が、「A先生との去年の生活があったからB生徒はこの状態でいられるのだろうな」と感じることをA先生に伝えれば、「何言ってるの、そんなわけないでしょ」と一蹴。

教員が自身の影響を過信するのではなく、できることをやり、できないことは職員集団であたる。
自分の指導でなく、集団を信じ、集団に働きかけ続けることができたという意味でも『学び合い』的だったなと思うし、同僚に恵まれていたのだなと回顧します。

とはいえ学年職員の協働はこの円陣のイメージではなかった。

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