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支援臭がすると引いていく

フリースペースたまりば理事長の西野博之さんのお話を聞きました。

多摩川(たまリバー)の近くだから「たまりば」だったんですね。
西野さんご自身のライフヒストリーに沿って活動をトレースしてもらいました。
経験された壮絶なエピソードの数々に瞬きするのを忘れながら聞き入りました。

「自分の苦しさの原体験を補償するように活動してきたのだとわかった」
「大人自身が自立しなければならない(自分自身が何者なのか、どう生きたいのか、何に幸せを感じるのか」
という文脈がライフヒストリーに乗り、ずしんと質量を持ったメッセージとして突きつけられた気がします。

「子どもを支援する上で大切なのは、全肯定する眼差し、それがあれば子どもは自分の人生を歩んでいく。」

子が生まれてきたことに涙して喜んだ親が、次第に生きていることを当たり前として次々に要求するようになる、自戒です。

本当に生きているだけでいい、と言い切れるのか、自分にその度量があるのか、もしないとしたら全肯定できていないのではないか、そんなことがぐるぐると巡りました。

「支援臭、大人の良かれが子どもを遠ざける。」

立場が対等ならば、支援する側、される側という構造にならない。

子どもが集う場所以上に、もしかしたら集う場所を求めている大人が多いのかもしれません。

多数の多様な場がいろいろな形で存在し、それがたまにつながっては切れて、生まれては消えて、というくらいがむしろ自然なのかもしれません。

夢パークのような公設民営の大きな居場所の意義は大きいです。

でも、資金とか箱とかを気にしない、もっと自由な場がたくさんあることも意味があるのではないかと思います。

好きな場所を探し、選べることができるといい。

もっと言えば好きな場所がなければ作ればいい。

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