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郷土愛とはプログラムによって培われるものではない

私は結構地元の直江津、上越が好きです。
大学では関東に進学し、首都圏のベッドタウン的なまちで生活しました。
年末年始に帰省した際の「鉛色の空」になんとなく居心地の良さを感じたものです。
そんな形で地元での生活が相対化されたこともありますが、
でもやっぱり根本的な「地元が好き」の背景には自分が愛されてきた経験があるから、だと言えます。

愛された経験

小学校では校門を出ると右に行くか左に行くかで道が分かれます。
下校時、右に行く同級生男子がたまたま私の年だけ一人もおらず、ほかの20名近くはみんな左。結構寂しい思いをしたものでした。
それでも、自分の町内にこの年の男子が一人しかいないというのがポジティブに働く面もありました。
私の地元地域では夏に大きな祭りを催しており、それを軸に一年が回っている感じでした。
祭囃子の練習などというと地域の大人たちの中に入っていってやるわけです。
新顔が一人しかいないと色々構ってもらえます。
大人に名前で呼んでもらえること、褒められること、叱られること、家庭や学校にはいない大人の姿ややり取りを目の当たりにすること、そして段々と「大人」として扱われるようになっていくこと。
こうしたことを経て、学校や家庭とはまた違った価値観の成長をしていきました。
だから私は地域に育ててもらったという感覚でいます。
こうしたことが地元への愛着につながっているのだと思います。
私の居住している地域はその頃から急速に宅地開発が進み、子どもを抱える家庭が急増しました。
私たちが大人たちに特別扱いしてもらって育った最後の世代かもしれません。

郷土愛を育む

学校教育などで郷土愛というフレーズが散見されます。
地元の歴史を知る、地理を知る、産業を知る、そういったことが郷土の理解につながることは間違いないでしょう。
しかし、「郷土愛」というのであればその「愛」を自分が受けた経験こそが幹になり、これらの知識はその枝葉になるのではないかと思います。
第一、「愛せ」と言われてできるものでもなく、自分が大切にされた経験があるからそれが可能になっていくのではないでしょうか。

そんなことで、郷土愛を育む上で最も必要なのは、地域が、大人が、地元の子どもたちを愛すること、それに尽きるのかなと考えます。
子どもを大切にするまちでは、子どももそのまちを大切に思う。
結構シンプルなことだと思うんですけどね。

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