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街の選曲家#Z1ZZZZ

音楽は心にも体にも影響すると思っている。それに音楽で記憶がよみがえるというのもよく聞く話だ。それらは香りなど、五感の様々なものも同様だろうが、私が感じているのは音楽は極限の状態でない限りプラスの影響を与えてくれるということだ。いや、極限の状態で音楽を聞くことができないにしても、頭の中の音楽がいい影響を与えてくれるような気もする。だからこそ音楽を求め、口ずさみ、知りたくなるのか。それはただの人間の欲望のひとつなだけなのだろうか。私にとっては音楽は常にあるもので、もっといろいろなものを聞いていたい。知っていたい。だが、人間には時間の制約がある。常々それが足りていない。なにをしているわけでもないのにね。そういうのを愚図というのかもしれないが、こればかりはどうしようもない。だが、その中でも十分楽しめていて、自分にいい影響があると確信もしているのだ。

JUSTY - BOØWY

私はBOØWYというバンドの直撃世代だが、一時期世の中で大人気だったそのバンドにハマったこともなく、それ以前に好きなバントでもなかった。あまり知らないというのが正確な表現だろう。ひとつ憶えているのは八十年代の中盤にRCサクセションかなにか、東芝EMIのレコードを買ったときに、BOØWYやSHOW-YAといった東芝EMIの若手イチオシアーティストの、カッコいいポスターをポストカード化したものをもらった。他のアーティストの記憶は薄いが、平綴じで五組のアーティストくらいのポストカードが束になり、一枚の厚みもちゃんとしたものだった。

憶えているのはSHOW-YAとBOØWYだが、いや、鮮明に憶えているのはBOØWYのポストカードの図柄で、バンドメンバーの中心にボーカルの氷室京介さんがすごいポーズで写ってるモノクロ写真だった。ロックバンドのポスターとしてカッコいいと思った。そんな記憶がBOØWYのイメージだった。そしてバンドはもう解散していた頃に大学に入ったが、同郷ということもあり、高校のときには洋楽のレコードをレンタルしまくっていた友人にバイト先を紹介してもらったり、高校の時と同様に遊ぶようになった。その中で彼は彼の学部における軟派な付き合いの中で流行っていたBOØWYを車の中でかけていた。私を乗せる時も含め、彼はテープが擦り切れるほどリピートしていた。

そんな流れでBOØWYの曲はほとんどすべての曲を繰り返し聞くことになり、中には少しは興味のある曲もあった。だが時間が経ち、そんなことは忘れ、相変わらずの日々を過ごすようになる。そしてある日、私が入っていたサブスクリプションにBOØWYという文字を見た。ジャケットとかではなく、文字、それだけだった。それは解散よりもさらに後に出たベスト盤というようなもので、BOØWYのアルバムを知らなかった私には逆に分かりやすい文字のジャケットで、長々と書いてはいるが、要は音楽のサブスクでジャケットの派手さに目が留まり、それが大学時代に友人の車の中で意図せず聞きまくっていたBOØWYだった。そしてそれを懐かしく思い聞いてみた。

当時聞いていて印象に残っている曲を探すにも曲名が分からないので、結局はベスト盤をはじめから聞いてみる。その時の印象は、やっぱり売れるだけあるんだなあというイメージ。カッコいいロックで、時代的なものもあるのかもしれないが、ニューウェイブを感じさせる部分もある。歌詞も全て解読し聞いたわけではないが、単純明快なものから難解風なものまであるように感じた。この曲のJUSTYもそのようにカッコいい曲で、イントロからいきなりの特徴的なギターのリフに引きこまれる。歌詞の世界からやってきたような魅力的な人間を具現化したようなボーカル、屋台骨がしっかりしているロックで、聞いていれば心も体も動きだしてしまうようだ。

最初のギターのリフはサビの部分でも特徴的なもので、メロディがシンプルな分、そのギターのリフを聞かせているのだろうなと感じてしまう。そしてそれが盛り上がりでもある。そして間奏のアコースティックギターは南仏からスペイン、ポルトガルから南米へと、地中海西部から大西洋へと思いをはせるような乾いた風を感じ、その後に続く電気ギターのサウンドとともに歌詞とシンクロし、感情を伝えていると思う。歌詞は書けているなって感じのイメージで、その世界や場面を洒落た言葉で彩ったラブソングだが、曲名のように何もかもハマってるという感じがして悪くない。歌詞からくる言葉を感じれば、やはり南仏のイメージがあるのかと思うってしまう。私には洒落すぎているが、こういう歌詞もロックも音楽もいいものだ。


Are You Sure - Aretha Franklin

アレサフランクリンといえば私の場合、映画ブルースブラザーズが最初の出会いだった。まだまだ子供のようなものだったのでよく分かっていないまま映画を見たのだが、彼女はレイチャールズやJ.B.などと並んで出演していた。映画の劇中には彼女自身が歌うThinkが収録されていたが、そのパワフルな声に圧倒され、声の強さに驚いた。出演者の中でもレイチャールズなどは知っていたが、彼女のことは知らなかったので、その後、時間が経過した後にベスト盤を聞いた。そのベスト盤は今でもどこかにあるだろうが、もう記憶の彼方でもある。しかし忘れることはない。この曲はそのベスト盤にも入っていたが、それから随分時間が経っていた。

もう最近といえるだろうが、生まれて初めて音楽のサブスクに加入し、制限付きの中でいろいろと聞いている中、ふと目にしたのがアレサフランクリンのベスト盤だった。私が持っていたものとは違うが、曲の多くは持っているベスト盤と重複していた。それでもいろいろな曲が入っていて、ある時期にはよく聞いていた。そしてよく聞いていたのなら自作のプレイリストには入れるでしょう、という感じで最初にそのベスト盤から選んだのがこのAre You Sureだった。彼女の曲で一番最初に聞いたThinkや素晴らしいRespectもよかったが、その時はこの曲を入れたかったし、聞き飽きることはないが、それらはいかにもって感じだったし、自作のプレイリストなんてそんなものだから。

この曲から感じるのはやはりR&Bとゴスペル、いや、R&Bなのだろうが、ソウルといってもいい。それは彼女の歌にはソウルがあり、それを感じるからだ。そんなことを言えば歌を本気で、心を込めて歌えばソウルはあるだろうということになる、しかしゴスペルと同じようなキリスト教的な意味でのソウルを感じるのだ。それは私が宗教に無頓着で、それらを表面だけでとらえているだけなのかもしれない。しかしそう感じてしまう。曲を聞き、歌詞を聞いていて意味は分かったとしても、私には実際の感覚や意義は分からない。それがいいのか悪いのかも分からないが、言葉や歌詞の意味に同調できるとはいえない事実もある。それは私の世界とは違うが、乗り越えて考えれば理解はできるということだ。

曲は最初は静かな中に響くコンガが印象的で、音の高さからボンゴではないだろうと思うそれと、ベースとの短いイントロからすぐに歌は始まるのだが、彼女の声が若々しい。この曲はかなり初期の頃のアルバムに入っているらしく、その初々しさだろう。そして音も思ったより多くて多彩だ。歌と同時にアコースティックギターが入り、そしてドラムや薄いホーン、ピアノ、タンバリンとさまざまな音がとても生々しくていい。ハーモニーというか、セッションとはこういうものなのだろうかと思ってしまう。シンプルだが多彩な音、そして彼女の若くて強い歌声、聞いているともっと、ずっと聞きたくなる。そういう音楽だ。もしかしたらそれは上に書いたような歌詞の思いが直接は伝わらないというのもあるのかもね。


EIGHT BIT JUNGLE(8BIT MUSIC POWER) - 慶野由利子

この曲は随分前に発売された任天堂ファミリーコンピュータのカセットの形をしたchiptuneのアルバムに入っている。ファミリーコンピュータの内臓音源だけで作られているのでカセットとしての発売が可能で、私が聞いたのはサブスクにあったCD音源版だ。参加しているアーティストも多岐にわたり、以前別の形で書いたSMS Powerの初代音楽コンペでぶっちぎりの一位だったVORCのhallyさんや、NAMCOの多くのゲームのミュージック、サウンドクリエイターとして有名な今回の曲の慶野由利子さんらがいた。ファミリーコンピュータは好きでもないし、深く遊んだわけではないけど外せないゲームは遊んだ。それにchiptuneを聞くようになっても耳を疑うような素晴らしいNSFを聞いていた。そういうクリエイターが育った広大な環境だったのだろうと思う。

今回のこの曲を手掛けた慶野由利子さんは、初期のNAMCOのアーケードゲームにもどっぷりつかっていた私にはすごい存在で、もうずいぶん前になるが実は彼女の講演を聞きに行ったこともある。今では少し離れればライブにもいけないような状態だが、そのときは離れた北九州イノベーションギャラリーにザ・テレビゲーム展を見に行った。その展覧会のある日の講演に慶野由利子さんが出るからに他ならなかったが、講演では例えば実際にビデオゲームの音楽と効果音と制限について、分かっているようなことでも彼女の口から体験を聞くと、それ以上に深いものとなった。それ以外にも興味深い話ばかりがあって、質疑応答のようなものもあり、貴重な体験だった。

さて、今回の慶野さんのこの曲について私がこう書くのも変だが、慶野さんらしい素晴らしい曲だと思う。高度な曲だと思うし、計算された混沌が実はまとまっているというか、混沌が一つの目的に向かっているようなイメージを思い浮かべてしまう。そして途中でまったく違う曲調のものが入るのは、例えばビートルズのA Day in the Lifeのようなものではなく、世界の中の世界、入れ子のような気がしてしまう。わざと緩く考て、ちょっとしたコーヒーブレイクだと思うのもいいが、実際はつながりの世界で、静と動のようなものだと思ってしまう。音色はファミリーコンピュータそのものだが、分かりやすい高速アルペジオのようなchiptune然としておらず、非常に論理的な音の組み合わせと感じる。こういう曲もとても好きなんだ。それはゼビウスやパック&パルやフォゾン、グロブダーのような曲を、そういうゲームで遊んできたからかもしれない。そしてこういう形で慶野さんのこういう曲を聞けるのはうれしい。


La Puerta - Frankie Reyes

私はいつもの同じことを書いている、その中でも眠る話も同様だ。寝られないので薬を飲みネルチルと名付けたチルアウトの曲を聞きながら安静にし、入眠できればいいということだ。そんな日々の生活は生活として、ある日サブスクリプションのリコメンドに光るものを見つけた。曲の羅列の中の一つだったが、アイコンとして収録アルバムのジャケットが表示されており、そのジャケットが光っていた。多分楽器のアンプのキャビネット部分の網を模しているようなジャケットで、その網の金属が光っているように感じたりもして、曲とともにそれに目が止まったのをとてもよく憶えている。

その曲はFrankie ReyesさんのLa Puertaという曲で、それはずっと前にどこかで聞いたような音だった。それは曲とかサウンドとかそういう意味ではなく、全体がどこか生まれる前の世界から響いていたような、そんなデジャヴに満ちている。Frankie Reyesさんはラテンの名曲をビンテージのオルガンやシンセで表現しているアーティストらしく、この曲のなんともいえない眠いようなオルガンが、デジャヴといういつかあったような記憶を呼び起こしているのだろうか。曲を調べてみると、ルイスミゲルという有名アーティストが1991年にリリースした曲で、歌詞もついている。作曲者や作詞者は調べてみても私には分からなかったので、もしかしてそれ以前もヒットはしない誰かがリリースしていたのかもしれない。それならばデジャヴではなく邂逅かもしれないな、とも思った。

そんなのはどうでもいいといえばどうでもいい。聞いてみれば分かるように低音の優しく包むような、そして重厚で大地にも伝わるような響き、同じ音だが高音はキラキラ光っているとは言わないまでも繊細な歌声がささやくようだ。これを一つのオルガンで一人が演奏しているシンプルさ。これには惹かれるのも当然のような気がしてしまう。いや、そういうものではないのかもしれない。これを聞いているともう、いつかのおやすみがやってくるようだ。音に包まれる感覚は、体だけではなく心を包み、浮遊させてくれるゆりかごだ。揺籃歌ということもないだろうが、私にとってはそういうものだ。これはどういうオルガンか、シンセサイザーなのか、ポストエフェクトのようなものがかかってるのか、考えたい気もするが、それはいい。ただ安心できるおやすみでいい。



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