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073_会社を潰す主犯

もう十数年前の話になります。私の友達のМ子さんが父親が経営していた会社の代表を引き継ぎました。それから7年間の悪戦苦闘の末にМ子さんは従業員を全員解雇し、会社をたたみました。

その会社は乾物などの食材の販売会社でした。地産の乾物や漬物などを飲食店に販売していました。その経営者だった父上はすい臓がんで数カ月の闘病の後に世を去りました。それはパート主婦として夫と小さい2人の子どもと暮らしていたМ子さんにとっては全くの想定外の出来事でした。
会社をどうするか、М子さんを含めた三人姉妹で話し合いました。母親は先に亡くなっており、お姉さんは離婚して一人暮らし、妹はうつ病を患っていました。М子さんは覚悟を決めて経営権を引き継ぎました。

そのМ子さんが驚いた、というより呆れたのが社員の不勉強。PCがほとんど使えないのです。理由は経営者である父親が使えなかったから。その周囲の古株の社員たちはそれに乗じて職場がすっかりぬるま湯になってしまったわけです。これではいかんとМ子さんはPCやOAの活用を指導しましたが、中でもそういう事が苦手そうなオバちゃんは「これを使うよりも手書きの方が速いですよね」と抵抗しました。

PCの操作を覚えて残業するよりも慣れている手書きの方が効率的? それっていつの時代の話? 新社長であるМ子さんのストレスや不安はそれだけではありませんでした。食材のルート販売をメインにしている会社のせいか業務のほとんどがルーティン化していましたが、それを維持するだけの働きしかしないのです。余計な事はしない代わり新規の拡大や導入はない。つまりマンネリの中で自分を甘やかすだけの人材しかいないのです。

どうしてこうなったのか。社員のほとんどが父親の同世代やちょっと下の世代で固まっているせいで「高齢化会社」になってしまったわけです。老化とともに時代に飲まれようとしている、多くのシャッター街の商店と同じ道を、その会社も辿ろうとしていました。

それからのМ子さんの涙ぐましい奮闘は筆舌に尽くしがたいものがありました。父親が創業した時代とは明らかにビジネスの質も構造も違います。それをМ子さんなりに「今風」に変えようとしましたが現役の社員として時代についていく対応力を求めるには彼らは歳を重ねすぎていたのです。特に前述の年配の女性社員に対しては手を焼きました。
「お父ちゃん、ホンマに生きているうちにアイツをクビにして欲しかったわ」

3年が経過して業績の悪化に伴い古参の社員を3人解雇し、自身の離婚と長男の不登校を経験しました。
旦那さんは最初のうちはМ子さんを支えて色々と手伝ってくれましたが、契約社員でプログラマーだったその人はPCに向きあってカチャカチャと手を動かすのは得意でしたが、生身の人間相手の問題解決能力をまったく持ち合わせていなかったのです。下手に頼ってしまったことが失望を生みました。
長男の方は期待をかけて私立の中学校に入れようとしましたが成績が悪くて断念しました。塾をサボった事を激しく𠮟咤した日から原因不明の腹痛に見舞われ、結果不登校になってしまったのです。子どもの問題に正面から向き合う余裕のない事が遠因だったと思われます。

経営は不条理しかありませんでした。注文をくれない顧客に頭を下げ、仕事をしない社員に給料を払う。社員も大きな不条理を感じていたでしょう。新しい社長と新しいやり方、それがもたらす新しい諸問題…。

М子さんはこう振り返ります。
「お父ちゃんの会社を潰したら申し訳ない、というプレッシャーが強かったんやと思う。それから実態が分かるにつれて、何とかせなアカンと思った。けど社員さんが望んでいたのはお父ちゃんのやり方やったし、家族が望んでいたのは社長ではなくお母ちゃんとしての私やった」

会社をたたむ直接のきっかけとなったのは、2回目の胃の手術の直後でした。直感的に自分は長く生きられないと思い、会社と個人の財産を子どものために整理しなければならないという、自分が生きているうちにしかできない事のためにそれを決意したのです。

会社を整理するのに1年ほどかかりました。会社の多くの資産を整理して退職金に当てましたが、古参の社員から恨み節を言われ、息子の大学を断念しなければならないと泣かれました。「先代と違うて冷たい人やわ」「せやから亭主も愛想をつかすし子どももグレるんや」こんな声が枕の奥から聞こえて何度も夜中に目が覚めました。

会社をたたんだ後に、財産であった不動産の管理だけの会社を設立しました。個人経営の大家さんの会社です。それなりに大変でしたが余計な軋轢がなくて気楽でした。長男はフリースクールから専門学校に行き、不動産関連の職能を学んで独立できるまでになりました。別れた夫とは子供を介して定期的に会っているようです。性格に問題がある人ではないので、こういう関係も悪くないのだと思い直しています。

父親が興した会社を自分の無力でたたんでしまった。会社の財産も半分以下になってしまった。М子さんにこうした自責が残ってますが、今ではもう大丈夫だと思えるまでになりました。「あのまま続けていたらどうなったか」という自問に解答はありません。考えても仕方がない事を、考えなくなったのは進歩なのかもしれません。

今日も日本のどこかで、高齢になった経営者の後を継いで旧弊と戦う事例が多くあると思います。時代の移り変わりについて行けない古参の従業員がとぐろを巻いているような会社、そこに乗り込んだ次世代の経営者が低レベルな現実に絶句する…。こんな会社の経営をやるのなら、サラリーマンやパートの方がよかった。そう思う人も多いでしょうね。

でも大丈夫です。乗り越えたらどこへでも行ける。会社が半分になろうがなくなろうが、人生は成功だけがブレイクスルーではないのです。

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