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「自分と向き合う」この言葉の意味がなんとなく自分なりに解釈できだした今日この頃。

今までの人生、部活も仕事も恋愛もわりと頑張るほうだった私。

なんですが、何のために頑張っているのかというと、置かれた環境でこれが正解だろう、こうすれば認められるだろう、必要とされるだろうみたいなルートを見つけて必死にゴールを求めて走る。
みたいな生き方を今までしてきたことに気づきました。


今まで自分が本当はどんな気持ちで、何が好きで何が苦手で、何が嬉しいのかまったく目を向けてこなかったから、自分の気持ちにとても鈍感になっていました。

気が付くきっかけになったのは、求められること(求められているであろうと自分が解釈していること)を滅茶苦茶頑張って目標達成したときに、全然うれしくなくて、ああなんだこんなものかと。

こんな生活をこれからも続けていくことが心底嫌になりました。

あれ本当は自分ってどうなりたくて今まで走ってきたんだっけ?


あれ、ぜんぜん自分の気持ちがわからない。

なんでやろう。。。

そういえば今まで自分の気持ちがどうなのかなんて考えたことなかったな。


そら、わからんか。

自分のこと自分の気持ち知りたい。

って意識が自分に向いてきて少しずつ。本当に少しづつ自分の考えや気持ちに気づくようになってきました。

向き合うと向き合うとで、こういう自分でありたいと、たくさん洋服を身にまとっていた自分が案外未熟で至らないところや、弱いところがあることにも向き合わざるを得なくなったり。

まとった鎧の上から自分を見ていたところから、鎧の中の本当の自分をのぞくことになったりで、まだまだな自分に不安になる日もありました。


へこみましたし、家にもこもりました。

けど今思うのはへこんでも何しても自分と一生生きていくしかないし、

こんな自分は案外人間らしくていいんじゃない。


少しづつ受け入れて、進もうと思えるようになりました。


きっとこのテーマの次のステップは「自分を愛する」→「他者を愛する」に広がっていく気がしています。


内容はここで終わりです。共感した方、応援してくれる方投げ銭してくれると明日も書く励みになります。

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