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文章を書くためのポイント / エッセイ

 文章を上手く書きたいという欲求がある。しかし、ではなぜ「上手く書きたい」のか。その目的が「いいね」である場合がSNS全盛の現代では多いのだろうが、僕はまずこの「いいね」のことは忘れるほうがよいと思う。どのような動機であってもよい、という見方もあるにはあるが、こと「いいね」についてはそうではない。なぜなら「いいね」を動機にしながら、これに振り回されずに書ける人間など類い稀で、まずもってそれが自分だとは思わないほうが賢明である。
 ここに僕が思う、言うは易し行うは難しな文章を書くためのポイントを独断と偏見で書いてみたいと思う。

★自分を飾るな
 上手く書こうだとか良いことを言ってやろうとして、自分を聖人君子のように書く場合がある。いくつか前の僕の投稿で実践している。こちらに気づきがあって、他者にその気づきを説くような文章である。確かに自分なりの気づきはある。しかしそんなものをありがたくすんなり聞き入れられるものではないし、仮にその気づきに納得してくれてもそれは情報を渡しただけに過ぎない。つまり説明的なのだ。面白みは情報にあって文章にはない。まさにこの文章もそうである。文章自体に面白味の価値はない。面白い文章は何げない日常を面白く語れることだと言えばわかりやすいかもしれない。

 しかし人は説明的になり、諭し始める。マンスプレイニングの亜種である。本当の自分は完璧な人間ではないと自分は知っているはずである。マスクの下では鼻が垂れていたり、米粒が何かの拍子に喉から鼻に上がりかけてむせたり、ちびったり、訳の分からない音を身体から発する。間違いをごまかしたり、見て見ぬふりをしたり、電車では狸寝入りを決め込み、次には人に親切にしようと思っても、やはりその機会には狸である。行為の良し悪しはさておき、そのようなあるがままの哀れな姿が人の共感をくすぐり、読んでいて面白いのだ。誤解なきよう付け加えるが、悪を行くのではない。

★破綻するな
 文章が支離滅裂になったり繋がったりしていないと、そもそも文章をなしていない。それは技術不足というか考え不足、ようは詰めが甘い。僕のこれまでの文章で体現しているから悪例の参考にしていただきたい。
 文章は論理的ではあるが、この論理的を取り違えては面白いものではなくなる。起承転結もそうである。型に嵌めて帰納法や演繹法を用いて提起した事柄に対して解を与え、そのひと脈を閉じようとするのであれば、それは説明や論文調である。しかし、脈略や道筋や整合性が破綻したり、打ち上げたことや仄めかしたことについて宙吊りのままほったらかしでは不備というもの。解決を与えなくともよいが、書き手が忘れてしまっていることを悟られれば話にならない。もっと言えば解決など見いだせずに揺らいでいるのが人間で人の世である。そこをうまく掬い取って全体をまとめあげなければならない。何度も言いたいが、表面的なパズルではなく、しっくりと都合よく解を与えたりピースを嵌め込んで意図的に解決することではない。

★リズムを感じとれ
 文章にはリズムがある。その前に知っておきたいことは、人間は無意識的にリズムを感じとり、そのリズムがよいものであれば心地よい、ということである。また同時に、よいものである理由は、人間が心地よいからであり、これは環である。文章の場合は喋りよりもリズムの操作しやすい。なぜと言って、書き直したりして調整することができるからである。しかしリズムは音を発するタイミングや個数や強弱によって生まれる。ゆえにやはり耳が重要である。耳といっても頭部の両側についている実際の耳だけではなく、内なる耳が必要である。内なる耳とは、黙読した時に自分の内側で響く音や声を聞く観念的な耳である。また、その耳を使って実際に心地よく感じる感性がもひとつ大切である。
 リズムには間も含まれる。時間的な間もあれば、意味的な間、文脈的な間などがある。何でもかんでも杓子定規に順を守って意味を積むのではまどろっこしくて失速する。方法論より感覚的に間を掴みたい。

★全部を忘れろ
 文章を書いているとやはり色々なことにぶち当たるし気づきもある。そのことに素人も玄人も関係ない。上に書いたものはほんの3つだが、もっと多種多様に気づきがあるし、がんじがらめにもなるし、視野が極端に狭くなったり、何を書いているのか分からなくもなる。じりじりとちびちびと一進一退して漸く書けたものが陳腐で嫌になり、改変したり全消ししたりしてのたうちまわる。そういう経験は是非する価値がある。書けないという状態はやってくる。煮詰まりきって、どうやって書いていたのかさえ分からなくなる。しかしそのような状態の時に人は成長しているような気がするのである。そしてそのあとにやることは、全部を忘れてしまうこと。書いたものの質を落とす致命的な不備は最早起こすまい。どうにもならない境地をいくつも経験したはずなのだから。あとは注意事項などに意識を占拠されず、一度全部を忘れた心持ちで創造力を解き放つのである。

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