見出し画像

眠れないのだね / 雑記

 ベッドに横になったが眠れずに、スマホのバックライトをしらじらと顔面に受け、その画面に親指をタップしては滑らせていることだろう。それはあなただけではない。似たり寄ったりの、四捨五入すれば同値の仲間が五万といることにまず安堵していただきたい。しかし、それでも尚、あなたが眠れないことには変わりはない。

 眠れない時には羊を数えろと先人は言ったが、あれは日本の先人が言ったのではない。sheepがsleepに似てることから来たまじないで、英語圏のものである。それにいくらsleepに似てるからと言って、だから効果があるとは思えない。寝れない者に寝るという意味のsleepを連想させたところで眠れ余計にプレッシャーがかかるだけである。仮に効果があるのであれば、なぜsheepではなく直接sleepと唱えさせないのだろう。寝るという意味を避けてサブリミナル的に「sleep」という印象を刷り込み、暗示にかけたいのだろうか。

 いずれにしても寝られないものは寝られない。これは今宵の定めである。いくら「よし、今から目を絶対に開けない」とか「身体を動かさない」とか自らに約束しようともあなたは目を開けるし、身体はもぞもぞしてきて動かなかった分まとめて盛大に動くはずだ。何ならそれに乗じてまたスマホを触る。液晶の明かりを煌々とその顔に受け、あまりの眩しさに目をクリント・イーストウッドばりに細めることだろう。そのような経験は誰しもにある。

 眠る方法などスマホで探すものではない。寝られないなら諦めることである。寝られなくても全然いいもんねベロベロバーでよい。どうせ寝られないのだから。あなたはその貧しいなけなしの想像力をもって空想の世界に旅立てばよい。そこには、あんなことやこんなことが待っている。思いのままではないか。侵入者が現れた場合を空想して撃退の手立てをあれこれ妄想したことがあるだろう。意中の人との現実の世界ではあり得ない展開を妄想しただろう。妄想は際限のない泉である。その泉に浸ればよろしかろう。浸っても着衣は濡れもしない。おまけに寝れもしない。いいではないか。どうせ寝られないのだから。空を飛ぼう飛ぼうとしても飛べるものではない。寝よう寝ようとしても寝られるものではないのである。それなら寝ようとしなければよいのだ。そのほうが逆説的に眠りの女神がそっとあなたに触れるかもしれない。払いたくない払いたくないと思っていても請求書は届くのである。世の中は逆説的なのだ。色々と書いているうちに眠たくなってきたのでこのあたりで切り上げて僕はお先に寝ることにする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?