書くことへの皆の関心 / 雑記
noteを使ってあれこれしている人が沢山いるんだなあとnoteを開く度に思います。僕はあまり熱心な方ではないので、気まぐれに訪れては「おお」「むむ」と唸っています。noteを利用する人の中には読むだけの人もいるでしょうが、このプラットフォームは「書くため」という色彩があって、とても多くの書きたい人がこれに関わって盛り上げているのだろうなと思います。
書きたい人、
これはあなたでしょうか。
書きたい人、ってどういう人なのでしょうか。日常にあった愉快な出来事について写真と短いテキストをSNSに投稿するかのように、ノート(帳面の方)やnoteに書き残しておきたい人でしょうか。書きたいから書くのでしょうか。書かずにはいられないからでしょうか。それとも何かの宣伝とか。読む人を楽しませたい?はたまた承認欲求?
書くことを目的にするも手段にするも、いずれにせよ書くことに関心があるのは間違いないようです。それもとりわけ上手く書くことへの強い関心を感じます。
noteに上手く書きたいという欲求と関心を持つ人が沢山いることを比較的簡単に確認する方法があります。「文章をうまく書くコツ」だとか「面白い文章の書き方」だとかいうタイトルをつけると他の投稿より断然よく読まれるのです。厳密に言えば、よく読まれるのではなく、とりあえずは覗いてくれるのでしょう。僕のようなのらりくらり気まぐれな記事でさえそうなので、どうやらバラツキや雑音ではなさそうです。
しかし僕は、なぜ文章が上手く書けるようになりたいのだろうか、と思わずにはいられません。それは「文章なんて上手くなってどうすんだ。くだらねぇ」ということではなく、「ハテ、この人達は何のために文章が上手くなりたいのだろう」と思うからです。ここでは「書くとは何だ」「上手くとは何だ」「目的を明確に」だとかいう厄介の権化みたいなことが言いたいのではありません。飾り気なく素朴にその訳が気になります。訳、と言うと固い。背景とかというほうがいくらかやわらかい。気になる、というより、興味がある、がいい。
皆は文章が上手く書けるようになるために、どのようなことをしているのだろう。読むこと、書くことはもちろん、それなりに真剣にやっていると自分なりの向き合い方、取り組み方ができてきて、書くことに対する朧げな像(形や性質や世界観などの抽象)に近づいた気になってくる。それらはまた形を変えたりふいにいなくなったりするのだけれど。これといったものはないようであって、あるようでない。書き手がただそのように感じたり捉えたりしているようにも思われてきます。しかし結局はその感触を覚えて書いているのだから、そんな幻のようななけなしの灯火を頼っているのです。その幻を幻と思うか、確かな手触りのあるものと思うか、思い込めるかは人それぞれかも知れません。
上手くといっても目指す方向や目的によってうまさはその数だけあると思います。その中には更にスタイルや個性があるでしょう。もっと言えば時代の風やその風に絡め取られた自分というものにも左右されている。このような様相に対して無意識ではいたくないという欲求があります。色々な環境や条件を受けて変わってくる。整合するかしないかはまた別にして。そう考えると、上手く上手くと言っても、見るべきところを見、手を入れるところを抑えていないと、つまりこれらについて自覚的でないと上手もなにもないようにも思えてきます。文章は自分という人間から出てくるものですから。変わりゆくなかにある自分が変わりゆく自分について、変わりゆくと知ること。何から変わってゆくのでしょう。どの時点から。理想からの距離。と、考えたりして、面倒になって、これまでの考えが馬鹿馬鹿しくなって、ポイッとやめてしまうことってありません?
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