鼠のようなもの / 掌編
季節は夏が終わり、秋に差しかかった頃だったので、急な激しい夕立に降り籠められたのには妙な気がした。ちょっと用向きがあったので、億劫に思いながらも立ち上がった。玄関の軒下で蝙蝠傘の縛りを解くと、畳まれていた襞がぱらぱらとこぼれたが、その間から毛玉のようなものが落下した。靴の横で仰向けに転がっている。それは片手で覆ってしまえるほどの小動物だった。胴を覆う毛の色は灰を被った黄色をしていて、しかし四肢にはその体毛はなく、ずんぐりと短くはあるが、色合いも含めて人の手足によく似ていた。それが玄関先の敷石の上で右往左往しながら、ミイミイと細く糸のように鳴いている。一体これは何なのだ。尾は鼠のようであったが、この生き物が鼠ではないことは一目瞭然だった。小動物は這いずって雨の滴る軒先線の外に出た。忽ち毛は降る雨に濡れて幾筋かの束となり、そのために手足と同じ薄桃色の地肌が透けて見える。それが濡れそぼった老人の薄くなった頭髪のようで、見るうちに可愛そうになってきて、私は腰を屈めてこの得体の知れない小動物をおもむろに右手に掴んだ。イッ! と激痛を感じた私は、人差し指に喰らい付いてぶら下がっている奇態な獣を振り払った。其奴は玄関の硝子戸に衝突し、敷石から外れた土塊の上に横たわった。爪のすぐ下のあたりが三日月形にえぐられて、そこから血が噴き出していた。獣は落ちたなりのまま半ば傾いた格好でミイミイと鳴き、その腹が膨らんだり萎んだりしている。空の陰惨な煤煙たる雲が瞬間烈しく閃光し、間髪なくバリバリと轟音が衝撃した。ひっ、と堪らず首を竦め、ざんばらの蝙蝠傘を投げ出して、両の手で耳を覆った。耳に一種の圧迫を感じながら遠くで地鳴りのような余韻が尾をひいている。足元では無力な獣が(私には聞こえないが依然として鳴いているのであろう)傾いたまま横腹を脈動させていた。先ほどは気がつかなかったが、頭の舳の少し下がったところに、小さな三角の口が見えた。そこで必死に呼吸しているのだろう。私は耳を覆った手を下ろした。するとやはりミイミイ鳴いている。しかしいくぶん音が小さいように思われる。横腹の脈動。ミイミイという鳴き声。三角の口。鳴こうとして鳴いているのだろうか。それとも呼吸の副産物だろうか。私は用心しいしいもう一度そいつを掴み上げると、硝子戸を開けて玄関に入り、下駄箱の下の空間にそいつを置いた。用を済ませて戻ったとき、まだ息をしていたなら獣医に診せてみよう。息をしていなかったら庭の梅の根方にでも埋めてやろうと、そう思って家を出た。
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