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毒母?

刺激の強いタイトルから始まりました。というのも80歳になる実母が先日我が家で寝っ転がって読んでいた本が「毒になる母親」という本でした。ピコママが読もうと思いつつ、なかなか手を出せずにいた本を、うちの母が勝手に読んでおりました。

では、どんな母親が理想なんでしょうか?これは永遠のテーマだと思うんですが、心理学者としても、純粋に子どもつ親としても、そして多くの保護者と接してきた教育者としても大変興味深いテーマです。

そこそこ50年足らずしか生きていないピコママが言うのはほんとにおこがましいのですが、「よいお母さんは決していいお母さんではない」「子どもの気持ちにコミットできるお母さんがいいお母さん」なのだと思っています。

うちの母は、友人の間でも名物お母さんでした小学校から高校まで授業参観に一度も来たことがありません。働いていたこともありますが、「あんな偽物の授業風景見たって真実は見えない」なんて言うのです。ピコママは小学校からお弁当もちでした。これまた忘れ物の多い子どもだったので、しょっちゅうお弁当を忘れていっちゃうわけです。良いお母さんは届けてくれるんですが、うちの母は、自分の昼食に食べちゃってました。帰宅して苦情を言うと、忘れたときにどうするか。。。というのもいい勉強。とケロッというのです。ただ、母が一度だけ学校に届けてくれたものがあります。それは「パンツ」。低学年のころお漏らしをしてしまって、それが先生に言えず、ずっと濡れたままの下着をつけて心細く、非常事態用に入っていた10円をもって母の職場に電話をしました。ただ声を聞きたかったのかもしれません。届けてくれとは言わなかったのですが、昼休み保健室の先生がそっと紙袋を渡してくれました。濡れたタオルと新しい下着と「気がついてあげられなくてごめんね」というメモ。小学校2年生だったと思うのですが、おトイレで号泣しながらパンツ取り換えたのを今でも覚えています。

母にいつか聞いてみました。お弁当は届けてくれないのに、なんでパンツは仕事抜けてまで届けてくれたの?母の回答は「だってお弁当をくれる人はいても、パンツをくれる人はいないでしょ。それぐらい心細いんじゃないかと思ったらパンツ握って走ってたわ」なんと母らしい名解答。子どもの時のピコママは、理想的な良いお母さんではない自分の母をなんとなく恥じていて、子どもながらに受け入れがたかった思いも抱いていました。女で1つで育てていくプレッシャーと忙しさの中で、ふつうのお母さんがしていることを母もしたい思いもあったと思いますが、「子どもの気持ちにコミットする、見失わない」ということだけは大切にしてきたのだなあ~と、わかった瞬間でした。

「いいお母さんって子どもの気持ちにつながれるお母さん」だと思うのです。母は勉強を教えてくれたことは一度もありません。ほんとに忙しい母だったので、一緒に遊んだ思い出はありません。でも毎日駅まで必ずついてきて、その間にいろいろおしゃべりをしてくれました。中学校に入っていじめられたとき、アドバイスはしないけど一緒に泣いてくれました。いつもべったりはしていないけど、要所要所で気がつけば後ろに居ました。そしてピコママの結婚式には夫に「返品無用」と書いた手紙をバージンロード歩こうと思ったら渡していました。

私は良いお母さんではなくいいお母さんに向かっているかな。今日はなんとなくつぶやいてみたい夜だったので、いつもとは違うテイストで。

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