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無題

「考える」とき、それはいつでも、何冊かの本と自分の骨の上に胡座をかき、大変な時間をかけて寄った思索の柔らかい糸を編むのだということを、自覚する必要がある。網目がばらばらにならないように、10本の指をすべて使ってそういうことをしなければならない不自由を知っておく必要がある。この網目にほかの人は寄り付かないので、目の合った膝小僧を抱き寄せたり、同じ作りの生き物や、違う作りの生き物と一晩過ごしたり、起き上がれなくなるまで何か美味しいものを飲んだり、息をするために仕方なく自分に鞭打ってやる必要もある。何か重たいものを背負った自発的な丘への歩み、冬の木の葉にワセリンを塗っては、つやが戻らない戻らないとあっちへいったりこっちへいったりしなければならない。

一方で、誰かが見せたいものばかり見ていて、自分の気が滅入るのは、非常に勿体ない。気が滅入るということを分かっていながら、勿体ないということは分かっていながら、それでも他人のほんとうか分からない素敵な一面を多量に服してしまう。洒落たスラックスの糊を取り戻そうと洗濯機の中に頭を突っ込んで、突っ込んでいるうちに肩がはまり、腰が上がらず、腿に金属の何らかの部品がぎちりと食い込み、痛い痛いと思いながら、それをやめられずに遂には死んでしまった。

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