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人に言っておきながら。

タイトルの通りです。
前回人に「余白を大切にしてほしい」といっておきながら、自分がそれを失っていました。そんなもんです。

気づけば6月になってました。
前回の更新以降、五月病にまんまとやられまして。
で、6月になったらすっかり元気になっちゃって。
とっても気分屋すぎて自分でも困り果ててるのですが、何も言葉に出来なかった日々のことを残せればいいなーという気持ちと、意味も正しさも無い文章を書くのが好きなのでまただらだらと書いていきます。

今日はこんな感じ。



できていたはずという幻想

5月後半は”少し前までできていたはず”ということに散々苦しめられました。
自分が怠惰なだけと言われればその通りとしか言えないど。

でも今年のGWはどこか遠くに遊びに行ったわけでもなく、だらだら過ごしたわけでもなく、新学期が始まってからと大して変わらない様な生活リズムで、バイトとちょっと友達とご飯の予定がある程度だったんです。

人間って習慣づけすると良いって言うじゃないですか。ほんとに変わらない生活をしてたから、いいことをしてると思っていたんですよね。

それが週明けた途端あらゆることが出来なくなってしまって。
朝起きれないのはいつものことだけど、やりたいこと知りたいことのはずなのに講義内容に全然興味持てないし、観劇して楽しかったはずなのに前のように受け取れたと思えるものが少なくなっていて、誰もが出来るやらなきゃだめなことが出来ないって事実にぶちあたってもっと駄目になって、好きで勝手にやってたことのくせしてそれが全部無かったことにされて悲しい気持ちになる事もあって。
こうやって駄目になってる間にも、みんなはお仕事だったり学校だったりなにかを頑張ってるのに、元の日常に戻ろうとしているのに。3,4月もたくさん好きなことだけやって甘やかされて生かされてきたのにだめだなー。って。

もう読んでて鬱陶しいでしょ。
うじうじしてる暇があったら小さいことひとつでもやりきってみろって。
そう思うんだけどね。弱くて出来なかった。

3~4月、自分が成長できたと思えることも、理想の自分に近づけるような行動だったと思えることも、もっとこうしてみたいという想像力も向上心も全部あった気がしてたんです。

これのことを”できていたはずという幻想”と呼んでいます。

自分に期待しすぎていたんです。
根拠のない自信を信じちゃったんです。
だから余計に理想と現実のギャップについて行けなくて。随分と情けない話です。地に足をつけろと言ったのはお前じゃねえかと。

これまでにも”できていたはずという幻想”を信じては現実はそうではなかったということに苦しめられたはずなのにまたやってるよ。という気持ちもある。どうやったらこれから抜け出せるのか。

答はなんとなくわかってます。
自分に期待しないで結果が出るまでやれることやれ。
これでしかないんですよね。

でも、まだ少し難しそう。


素直に受け取れたら

話は変わりまして、自分が好きでやっていることに対して感謝されたとき、あなたは素直にその感謝を受け取ることが出来ますか?

書き出し怖すぎるな。圧がすごい。
やだ、こいつきらい。

そんなことはさておき、その時、素直にその感謝をうけとれる人っていいなってだけのお話です。
考えすぎと言えばそうだし、そう感謝してもらっている事実を無かったことにするのは失礼と言われればそれまで。ましてや、逆の立場なら勝手にやってることだとしても嬉しければ感謝を伝えるよね?って自分に聞いたら「はい」しか言えない。

しかし、私はこれがうまく出来ないのです。
感謝してもらえる事実は嬉しいのだけれど、私はこれをやることが好きで義務なんかじゃなくて勝手やってることなのに、感謝されるに値しないのに、なんで?ってなってしまう。素直さが足りないなって思います。

だからたまに好きで勝手にやってることに対して感謝しろ!って怒ってる人を見かけるとびっくりするし、ちょっとだけ羨ましいと思う。自分は持っていない感覚だし、感謝を素直に受け取らないのは謙虚さではないし、それが謙虚だというのならそれは美しくもなんともない。いや、謙虚であることが美しいって考え方もなかなかにおかしいのだけどれども。

じゃあお前がその立場ならどうなんだよって考えたとき、自分が感謝を伝えるときってほんとにありがたいなぁって思った時だし、逆にそう思わなかったら形として言えるかもしれないけど、心から言えない感謝なんて伝えたくないんですよね。嘘がつけないというか。子供ですね。


それと人から受け取るという行為に慣れていないのも大きな原因なのかもしれません。慣れるべきなのかどうなのか。
これもまだ、少し難しいかも。


過去があっての今だけど。

最近あの頃こうだったな、ああだったなと振り返ることが多くて。
それが悪いことではないし、過去がなければ今はないけれど、過去に浸れば浸るほどなんだか今を生きている今である必要がどこにも無くなってしまいそうで怖くなってしまったんですよね。

思い出は美化されていくから余計に。

今を生きるって随分と難しいからこそ、こうして感じたこととか考えたことを書き残さなきゃなって最近強く思います。今を生きた証を形にしなきゃなって。

うん。

まとまらなくなってきたので今日はここまで。

なんか感想でも、自分の感想でも、おまえうるせー!でもなんでもいいので何かしらの形で下さい。マロとかに送るでもいいよ。てかこれじゃない方がいいのかな。と思い続けてるだけなのでいいのあったら教えて下さい。


待ちに待っていたはずの6月なのに、
なんだかちょっぴり怖いけど。
悔いなく生きていけたらいいな。
またね。



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