バスケットボール2

自己紹介①<運動音痴がバスケにはまった!小学生~高校生時代>

まずは自己紹介。。。現在は高校3年<けんたろう>と中学3年生<しんのすけ>(2019年現在)男子2匹の母親。
栃木県宇都宮市在住
某地方新聞社が発行する情報誌のリポーター。
そして、「えがおをつなぐとちぎ木育の会」という会に所属し木育活動を楽しみ、さらに、とちぎYMCAが集めた「English Town」という国際交流ボランティアに参加。高校生や大学生を中心にイベントを立ち上げたり、国際交流を広げていく取り組みのサポートをしている。

「えがおをつなぐとちぎ木育の会」や、「大道芸人フェスティバルうつのみや」のチラシやパンフレットを作成し、ほめられたことで調子にのり、フリーライターとチラシ作成を仕事にしようともくろんでいる。

小学生時代から社会人までバスケットボールをし続け、さらに社会人でスキーデビュー。SAJ準指導員をもつ。長男はアルペンスキーでインターハイ、国体出場。

Noteではスキーのこと、ブレックスの試合レポート、その他思いついたことを書いていきたい。

たけだじゅんこのおいたち
<子ども時代・バスケットボール編>

小学校時代千葉県船橋市で過ごです。姉と二人姉妹。

中学時代は、姉が通う、東京の中高一貫の私立女子校に入り、家まで学校に寄せて東京都江東区に引っ越す。そして、中学、高校、短大と、この学校で能天気に楽しく過ごす。

🏀小学生時代

同好会に入れる学年になった小学校4年生の時、運動音痴で歌が好きだった私は迷わず音楽同好会に入部。しかーーーし、一緒に学校に行きかえりしていた仲良しさんがみんな、ミニバスケットボール同好会に入ったことにより、通学が一人となってしまう。。。。。さ、さみしい。。。

心優しい友人が、「じゅんちゃん、同好会ふたつ入ってもいいんだって。先生に聞いてきたから、今からミニバスにも入りなよ」と言ってくれたのをきっかけに、ミニバスケットボール同好会に入部。

当時、運動神経が本当になかったので、レギュラーにはなれなかったものの、ミニバスが気に入り、まじめに練習に参加。
さらに、母が友人と一緒にドリンク差し入れというグッジョブなワイロをもって応援に来てくれていたので、勝ちがきまった試合などには、ちょっとずつ出してもらえる、というズルで出場。

🏀中学生時代

中学に入り、調子に乗ってバスケ部に入るが、当時はミニバスの部活がある小学校が少なかったらしく、パスはできる、ドリブルはできる私は、超目立つというラッキーな状態で、1年生から試合に出してもらえることに。
小学校の時と全く違う立場になり、自分が一番びっくりする。。。

しかし、2年、3年のころになると、運動神経のいい友人のほうが上手になるが、ファーストインプレッションというのは本当に重要で、「最初からバスケットができていた」というイメージが強い私は、部長、キャプテンとなる。

🏀高校生時代

高校に入る。中学と同じ学校で敷地も同じだが、制服も違う、部活動も別。そして、うちの学年は、中学のバスケ部がほとんどが辞めてしまうという事態が発生。しかし、高校からバスケ部に入るという奇特な同級生が4人もいてくれたおかげで、特に人数が少ない学年でもない新たなチームが結成される。

高校から入った同級生たちは、175㎝、172㎝、170㎝、165㎝と背が高く、この新チームと、その後入ってくる一つ下の学年とのミックスチームがわが校過去最高の(今でも破られていない)成績を打ち出すことになる。

進学校で、スポーツ特待生がいる学校でもないわが母校。練習だって週に3回しかできず、時間も午後3時半から午後6時まで。試合1週間前だけ、毎日練習が認められていた。

当時、東京都の高校女子バスケットは4部制だった。
先輩から渡されたわが校のポジションは4部。過去最低のドンケツである。

先輩が引退し、私たちの代になって初めての高校2年の新人戦。この大会は、1部を頂点とした巨大なトーナメントになっていた。だから、極論を言えば、4部からでも勝ち上って優勝することができる。

そして、私たちは、優勝をするまではいかなかったが、長い長い新人戦を勝ち上がり、4部のどん底から東京都ベスト16まで上りつめたのである。

4部の試合は、ヤンキー校が多く、茶髪でパーマをかけた高校生がちんたらバスケットをしていた。そこを勝ち上がり、3部になると、長い髪の人は結ぶようになり、2部になるとショートカットが目立つようになる。

そして、1部。みんな強そうで、かっこよく髪の長い選手なんて私しかいない。そう、4部から勝ち上がってきた成り上がり校キャプテンの私は、髪の毛を二つに結わき、身長153㎝。違う意味で目立っていた。

当時日本一の東京成徳短大付属と試合であたり、ボロ負け。でも普通なら相手にならない私たちに手を抜かず、試合開始時はベストメンバーのスターティングメンバ―で臨んでくれた素敵な学校。本当にいい経験ができた。

そんな新人戦を終え、3年生のインターハイ予選まで、1部で過ごすことができた。でも、ベスト8へあがる試合は、いつも全国1位の東京成徳か、東京都2位の東亜学園とあたり、ボロ負けだった。

そして、1部校の刈り上げで大きな選手たちの中、私は引退するまで髪を二つに結わき続けた。ベスト16は表彰されるのだが、賞状をもらいに行くのはもちろんキャプテンの私。いかついザ・バスケットガールの中に、ひ弱な一般人が混じっているようなアウェイ感たっぷりであった。

👻おまけ

バスケットボール以外でも楽しい高校生活を送っていた。
特に担任がとても気持ち悪く、でも、最高に愛嬌のある先生だったので、毎日楽しい高校生活を送っていた♡ 私たちは担任を「しげっ!」と呼んでいた。

千代田区、都心にある学校だったので、学校を出ると車がビュンビュンはしり、外をサラリーマンが歩いている。

そんな学校のそとで、私に用事のあった担任のしげが、「 かとー、かとー(私の旧姓)」と呼んで追いかけてきたので、「やめて~、キャー、ちか~ん💦」といって逃げたら、外を歩いていたサラリーマンが「えっ?」と振り向き捕まえそうになった😆 そして、回り中の同級生が爆笑。しげは真っ赤になる。。。今だったら完全に逆パワハラだ👍

そんな愛するしげのクラスでとても楽しい高校生活を送ることができた。
今は亡き、しげに感謝を💛

★★★つづく⇒ 
自己紹介②「高校時代から社会人なりたて・スキー編」
自己紹介③「大人になってから・バスケットボール編」【前編】へ




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