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カフェ『4分33秒』にて(フルバージョン)

#毎週ショートショートnote 用に書いたものを、もう少し長い話に書き直してみました。
一応、掌編小説という体裁を取っていますけど、前半は実質的にエッセイです(汗)

オリジナルはこちらです。


以下、本文になります。
よろしくお願いいたします。


(本作は4,918文字、読了におよそ8〜12分ほどいただきます)


 ピアノソロの演奏会では、ピアニストは暗譜で演奏するのが当たり前のようになっている。しかし、大昔の演奏会では、逆に暗譜で弾くことは作曲者への敬意を欠く行為として、忌避されていたそうだ。では、いつから暗譜の習慣が始まったのだろう? 実は、その始まりはロマン派の時代まで遡る。

 西洋音楽の歴史を辿ると、そこは男女格差の大きな世界であったことが分かる。音楽の教科書や音楽室に飾られている肖像画などで、女性作曲家を見たことのある人はほぼいないのではないだろうか? もっとも、女性差別の歴史は音楽に限った話ではないだろうが。
 ただ、他業界の歴史と比較しても、音楽界で女性が活躍出来るようになったのは、比較的最近の話と言えるかもしれない。今でも、増えてきたとは言え、女性指揮者は男性指揮者と比べて圧倒的に少ないのが現状だ。
 クラシックに限らず、一般の音楽業界でも、時折ジェンダーギャップの問題が提起されているように、特にプロデューサー業や録音技師など、裏方スタッフのほとんどは男性だ。
 また、1842年に設立され、以降、クラシック界の象徴とも言える存在でもあるウィーンフィルだが、初めて女性団員が誕生したのは、何と1997年にもなってからなのだ。ウィーンフィルが特別遅かったことも確かだが、ウィーンフィルと双璧を成す世界最高峰のオーケストラ、ベルリンフィルでも、1982年までは男性団員しかいなかった。
 そこから、更に百年程も遡るロマン派の時代となると、女性音楽家の地位は、少しは演奏家もいたのだが、ほとんどは「女声」という楽器ヽヽとしての扱いぐらいしかなかった。
 いや、強いて言えば、オペラ等での「女優」を兼ねた女性歌手は必須で重要な存在であった。音楽表現で、曲によっては必要不可欠な楽器としての「女声」。流石に、この地位は女性が席巻して当たり前……と思いきや、なんとバロック期には、それさえも男性で賄おうとした時代もあったのだ。「カストラート」という、変声期前に去勢することにより、ボーイソプラノの声質と声域を保ったまま大人になった「男性ソプラノ」も実在したのだ。

 その後、現在はもちろんのこと、年代と共に女性の社会進出も進み、少しずつ音楽界にも顔を出すようになってきた。そのきっかけとなった音楽家は——諸説あるだろうが——クララ・シューマンだとほぼ断定してもいいだろう。クララは、作曲家としてもピアニストとしても、一時代を担ったロベルト・シューマンの妻でもあるのだが、実は、作曲もピアノ演奏も、ロベルトより才能があったのでは? とさえ言い伝えられている才女だ。
 余談だが、クララの生きたロマン派最盛期は、女性の音楽家が世に出始めた時代でもある。例えば、ピアノ曲の『乙女の祈り』で有名なバダジェフスカも同年代の作曲家だし、クララに負けず劣らずの天才だったと言われているファニー・メンデルゾーンも同じ時代に生きた女性だ。特に、ファニー・メンデルゾーンは、六百曲もの作品を残しており、弟のフェリックス・メンデルゾーンを凌ぐ才能があったと言い伝えられている。
 生憎、ファニーは父親の猛烈な反対により、音楽家の道は断念したのだが、アマチュアヽヽヽヽヽピアニストとして活動する傍ら、結婚後も密かに作曲活動を継続し、そのうちの幾つかは弟の名義で世に出たことも分かっている。つまり、現在に伝わっているメンデルゾーンの曲の中には、姉ファニーによる曲も含まれているのだ。
 そのメンデルゾーンの大親友だったのがロベルト・シューマンで、その妻となった人物がクララ・シューマンだ。あのリストやショパンから、天才ピアニストと絶賛されたクララは、作曲家としても類稀なる才能を発揮していた。しかし、女性差別の風潮からは逃れられず、ピアニストとしての活動がメインで(それだけでもすごいこと!)、作曲は密かに細々と続けるしかなかったようだ。
 また、後に夫のロベルト・シューマンは精神疾患を患い、自殺未遂をしたり、看護が必要になったりと、作曲活動どころではなくなったのだ。ロベルトの死後も、生活の為にピアニスト活動に専念せざるを得ず、結局、クララは作曲家として活動する機会に恵まれない人生を送ることになった。時代が早過ぎたのだ。
 幸いなことに、現代に生きる私達でも、クララが残した数少ない楽曲を聴くだけで、彼女が如何に優れた作曲家だったのかは分かるだろう。時代が違えば、歴史に名を馳せた作曲家になっていたに違いない。

 そして、ピアノ演奏会において、ピアニストが暗譜で演奏する習慣も、彼女から始まったと言われている。それまでは、作曲者への敬意から、楽譜を見ながら弾くのが一般的だった。しかし、実際は、演奏会に向けて暗譜するぐらい弾き込んでいるのは、今も昔も当たり前のこと。本番でも、楽譜を見ながら弾くことはないのだ。その男性社会がズルズルと引き摺ってきた無意味な習慣を断ち切ったのが、シューマンの妻であり、ヴィークの娘でもあるクララだったのだ。
 女性は現実的……今も昔も変わらないのかもしれない。
 クララ・シューマンが確立した暗譜の習慣は、現在も受け継がれている。しかし、伴奏やアンサンブルなどの演奏では、「譜めくり」を用意して、楽譜を見ながら演奏するスタイルも並存している。また、演奏会ほどの格調を求められていない「発表会」や「BGM」代わりの演奏などは、ソロ演奏でも楽譜を持ち込むことは珍しくない。稀に、ピアノソロの演奏会でも、楽譜を持ち込むピアニストもいる。
 要するに、暗譜が多いというだけで、どんなスタイルでも問題ないのだ。いや、暗譜は作曲家への冒涜に当たるという、意味不明の価値観の強要が払拭されたのだろう。もちろん、本当に作曲家へのリスペクトを込めて、楽譜を持ち込むのも間違いではない。



 知人が「4分33秒」という名前のカフェをオープンすることになり、私は、開店日のBGM演奏の依頼を受けた。その際に、折角クララが断ち切った流れに逆行することになるが、楽譜を持ちこんで演奏することにした。
 実は、単なるシャレで、店名と同名の曲、ジョン・ケージ作曲の『4分33秒』を演奏して欲しいと言われたのだ。これは、偶発性に委ねた音楽で、音楽史に残る実験的な曲として有名だ。カフェでのBGMという、おそらくは誰にも聴いてもらえない環境で弾くことに不安はあるが、曲に罪はない。むしろ、一ピアニストとして、真摯に取り組みたい曲。なので、ジョン・ケージとこの曲へのリスペクトから、楽譜を持ち込む決断を下したのだ。
 そして、本番当日——。BGM演奏の時間は、十四時から一時間と決められていた。私は、ジョン・ケージ以外の曲は、その場の雰囲気で決めようと思っていた。店内を見渡し、客層や混み具合、男女比などをチェックした。さすがオープン初日だけのことはあり、かなり混み合っている。若い女性のグループや、子連れの若いママのグループが多く、野次馬的に様子を見に来たと思しき主婦層もチラホラと見掛けられる。
 一方で、平日の昼下がりということもあり、男性客はほぼいない。初日の混雑の為か、高齢者もいない。ほとんどは数人のグループ客で、時間帯からしてもランチタイムが一段落し、文字通りの「カフェ」として利用されている感じだ。つまり、ティータイム。お喋りに余念がない客ばかり。一人で本を読む客も数人いるが、待ち合わせかもしれない。
 こういう環境では、流行りのノリの良い曲はむしろウケないものだ。いや、何を弾いてもウケることはないし、ウケることが目的ではない。むしろ、聞き流された方が成功なのだ。なので、思わず耳を止めてしまう曲は邪魔になる。
 となると、何処かで聞いたことのあるようなないような、静かな長調の曲がいいかもしれない。ジャジーな曲よりは、少しポップな方がいいかもしれない。でも、最後にジョン・ケージを弾くことは決まっているので、誰も聴かないにしろ、プログラムとしての最低限の統一感も欲しい……そう考えながら、グリーグの『抒情小品集』を中心に、サティやフォーレなど、クラシックの小品を思い付くままに繋いでいくことにした。途中で、アクセントの為に、またBGMの存在を少しは感じてもらう為に、ショパンの有名なワルツや大昔に流行ったリチャード・クレイダーマン、ジョージ・ウィンストンなども挟んでみた。
 そして、五十五分が経過し、いよいよ最後の曲、ジョン・ケージの『4分33秒』を演奏する時がやってきた。ここまでは暗譜で弾いてきた私だが、足元に置いてあるカバンから、私はケージの楽譜を取り出した。
 譜面台を立て、楽譜を広げる。全三楽章からなる曲だが、見開き一ページだけの簡素な楽譜だ。初演で使われたと言われている大譜表による12ページからなる楽譜は、残念ながら手に入らなかった。この一ページにまとめられた楽譜は、初演の翌年にジョン・ケージが友人へのプレゼント用に書き直したものと言われている。音符はなく、全休符だけで構成されているシンプルな楽譜で、現在はこれがこの曲の一般的な楽譜として通っている。

 一楽章は全休符のtacet(タセット)だ。今回入手した楽譜には、拍子もテンポ設定もなく、三十秒のtacet指定だけ。その分、私は演奏に集中しやすい。雑念を消し、ピアノと向き合う。三十秒間、音を出してはいけないのだ。
 実は、ケージ自身が残した説明によると、各楽章のtacetの時間は自由に設定していいそうだ。ただし、合計が4分33秒にならないといけない。いや、これも厳密に守る必要がないとの説もある。しかし、私は、作曲者の当初の指定通り、三十秒のtacetをきっちりと守ることにした。これもまた、作曲者へのリスペクトに他ならない。
 店内の音に聞き耳を立てる。昼下がりのカフェの店内。しかも、今日オープンしたばかり。空席はなく、待機している客もいる。テイクアウトコーナーも混雑している。店員は忙しなく動く。客は談笑に勤しむ。そして、それら全てが音を発する。再現不能な一回性の「音楽」を構成している。
 そんなことに神経を集中していると、あっという間に三十秒が経過し、attacca(アタッカ)で第二楽章に突入した。今度は、二分二十三秒のtacetだ。超スローなテンポの無音の音楽を奏でていると、客の雰囲気が訝しげに変わっていく。何となく聞こえていたピアノの音が、なくなったことに気付いたのだろうか。ピアノの方に目をやる人もいる。フリーズしたかのようなピアニストに、不審な目を向ける人もいる。談笑がヒソヒソ話に変わったテーブルもある。そんな中、遠くの席から女子高生の笑い声も響く。何も変わらないままの人もいる。店員は、相変わらず店内を忙しなく動きまわる。一楽章にも増して、様々な音が鳴っている。そして、それらはぶつかり合いながら、合成される。不調和なハーモニーとランダムなリズム。これこそ音楽なのだ。
 そして、そのままattaccaで最終楽章に突入。少しテンポアップして、一分四十秒のtacetだ。私は必死に楽譜を追い、演奏に集中し、無心で無音を奏でる。更に音が増えた気がする。さっきまで聞こえなかった音も、今ではしっかりと聞き取れ、音楽の一部と化す。食器の触れる音、スマホの着信音、椅子を引く音、空調の音、外を走る車の音、クラクション、談笑、咳払い……美しい。皆、楽器になっていることに気付いていない。だからこそ「偶発性」が引立つ。全ての音が組み合わされ、二度と再現出来ない音楽となる。楽譜を見る。tacetはまだ続く。忠実に演奏する。音を出さず、音を築く。一回性の奇跡の連続。偶発性の音楽だ。素晴らしい! 一世一代の完璧な演奏だ!
 そして、三楽章も終了し、計四分三十三秒に及ぶ名曲を弾き終えた。BGMとは言え、我ながら生涯最高の演奏だ。しかし、その演奏は誰にも届かない。皆で奏でたものの、誰一人として、聴いた観客はいない。