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正確に、省略しないで話すわね

(本作は1938文字、読了におよそ3〜5分ほどいただきます)

 アイツとの出会いは、人数合わせの為だけに誘われ、渋々参加した合同コンパニーだった。当日は、終始不機嫌な表情を隠さず、無口を貫いた私だが、その日の解散間際にデートに誘われたのだ。しかも、よりによってアイツに。
 その時は、全く乗り気ではなかった。と言うのも、アイツはつい最近、インフォメーションテクノロジー関連の会社をリストラクチャリングされたばかりだと、合同コンパニーの席であっけらかんと話していたのだ。
 その正直で明るい性格は、ポジティブに受け取る人もいるだろう。現在は、フリーランスアルバイターとして、数取器を手に交通量調査に明け暮れる毎日なのだとか。私も、そこまでなら理解出来る。しかし、アイツは貯金が尽きる直前まで再就職なんてしない! と、意気揚々とダメ人間っぷりを宣言したので、私はドン引きしたものだ。
 しかも、フリーランスアルバイターという気楽な立場に甘え、休みの日には、ぱちんこ屋に出向いては、終日ぱちんこ遊技機や回胴式遊技機で遊んでいるとのこと。
 或いは、場外勝馬投票券発売所で一日を過ごす事もあるそうだ。勝馬投票券を購入し、現地のモニターで競走馬によるレースを観戦するのだとか。しかも、アイツが好んで購入するのは、比較的払戻率が高く、当選率も高い単勝式勝馬投票券ではなく、ギャンブル性の高い馬番号三連勝単式勝馬投票法の勝馬投票券なのだ。賭事に興味のない私は、以上をもって、単に将来性のない、ギャンブル好きのくだらない男と判断していた。

 それでも、嫌味のない性格で、根は誠実で真面目な人柄であることは伝わったし、話をしていても楽しい人だったことは否めない。
 また、笑った時に見える、上顎犬歯の低位唇側転位が可愛くて、贔屓目無しで見ても、見た目だけはイケてるメンズでもあったので、一度ぐらいのデートなら……と受けてしまったのだ。
 しかし、その判断はどうやらミステイクだった。当日は、何とカラ・オーケストラに連れて行かれたのだ。初デートでカラ・オーケストラを選択するセンスの無さは痛々しい限りだが、幸か不幸か、私は歌うことが大好きだったので、その点は目を瞑ることにした。

 それに、半年前に別れた元の彼氏よりはずっと増しな面もあった。と言うのも、元の彼氏は、兎に角お金を使いたがらない人だったのだ。
 大学で経世済民学を専攻していた影響なのか、常に損得勘定をする人で、自分の自家用自動車での移動より電動機付き客車の方が安いと言って、滅多に自家用自動車で出掛けることはなかったし、電動機付き客車で遠出する時も、特別急行は別料金が掛かるからと利用しなかった。しかも、食事もレジャーも全て割前勘定だ。
 その点、アイツは定職に就いていないクセに、私にはお金を払わせないという気概だけはあった。そこだけを見れば、元の彼氏より増しだろう。ただ、前向きな評価はそこまでが精一杯だ。あとはもう、最悪だった。

 まず気になったのは、階段式昇降機でも立ち止まらないようなセッカチな性格であること。のんびり屋の私とは、生活リズムが合わない気がしたのだ。
 しかも、いざカラ・オーケストラを始めると、マイクロホンの握り方は気持ち悪いぐらいに気障だったし、酷い先天性音楽機能不全ときた。最悪なことに、その時にアイツが歌っていたバラードは、伴奏がクラビチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテの分散和音だけだったのだ。残響効果を過大に調整した、とても聞くに耐えない歌声は、私にはストレスでしかなく、第三大臼歯が疼き出した。

 ただでさえ、季節性アレルギー性鼻炎の影響で慢性的な頭痛に悩まされている私だ。しかも、室内はエアーコンディショナーが過剰に効いており、乾燥気味だ。気を紛らわせる為に、また、乾きがちな喉を潤す為に、フレックスストローで果汁入り混合飲料を口にしたのだが、慌てていたからか、噯気が出そうになり、ハンカチーフを口に当て必死で堪えると今度は横隔膜痙攣が起きた。
 私は、恥ずかしさを誤魔化すため、さりげなく化粧を直す振りをしてコンパクトミラーを覗き込んだ。そこに映る薄っすらと雀卵斑と尋常性痤瘡の跡が残る顔は、惨めな気持ちからか、今にも泣き出しそうだ。
 もうその場から逃げ出したくて、「ごめん、トイレットルームに行きたい」と声を掛け、立ち上がった瞬間、眼前暗黒感に襲われ、踏ん張った時に身体を捻ってしまい、急性腰痛症になった。踏んだり蹴ったりの一日だ。

 そんな説明を友人に話すと、「ちょっと、何言ってるのか分からない」と、何処かで聞いたことのあるセリフが返ってきた。やっぱり、言葉は、省略されてても正確じゃなくてもいい、分かりやすいことが何よりも大切なのだ。
 渋センでタピりながら、そう思った。