ショートエッセイ集

久しぶりに朝から活動出来ており、やることもないので書きかけてたエッセイを短くまとめて、ショートエッセイ集にしました。
四作合わせて2,400文字ぐらいです。


⑴睡眠障害ですと?

 頭が悪いのでは? と疑われて、頭部MRIを受けたのですけど、幸い脳には何の異常もありませんでした。きっと、頭は悪いはずなんだけど、MRIでは正常らしいのです。
 頭が悪いのでよく話が飲み込めませんが、飲み込めないのは咀嚼力の問題なのでしょうね。

「そんなことより、貴女は睡眠障害ですから、そっちを根気良く改善していきましょう」と言われました。

 そうなんだ、私は睡眠障害だったんだ……何となくカッコイイ気がして「ショートスリーパー」を名乗っていましたけど、専門医に不眠症の一種なのだと言われましたので、きっとそうなのでしょう。
 じゃあ、もう「ショートスリーパー」を名乗れなくなったので、睡眠障害のカッコいい表現を探さないといけなくなりました。
「ファンキースリーパー」なんてどうでしょう?
 他には、「メランコリックスリーパー」「ランダムスリーパー」「アッチョンブリケスリーパー」……って、大喜利か!

 ちなみに、ショートスリーパーと睡眠障害は、似ているようで全く違うらしいのですが、何が違うのかは頭が悪くてよく分からず、イマイチ説明も飲み込めませんでした。脳は正常らしいので、やはり咀嚼力、若しくは消化器系の疾患なのかもしれません。


⑵友達の友達

 リアルでもネットでも、どうしても合わない人はいますし、嫌いな人もいます。どうでもいい人もいます。もちろん、大好きな人もいます。何とも思わない人もいます。人間関係なんて、そんなものじゃないでしょうか。

 そんな中で、もし、気心の知れたお友達がすごく嫌な人とも交流があったなら、なかなか受け入れるのに苦慮します。
 でも、幾らお友達でも、誰と親しくしているのかは私が関知することではありません。本音で嫌だなぁとは思いつつ、私とお友達との関係性だけを重視すべきでして、お友達のお友達を悪く言うことは御法度なのです。

 しかし、お友達のお友達が犯罪者なら、「あの人とは付き合わない方がいいよ」と忠告すると思います。詐欺をはたらこうとしていることに気付いたら、気を付けてね、と言うかもしれません。裏の顔に気付いていないなら、さりげなく教えるかもしれません。
 でも、個人的に嫌いなだけなら、何の口出しもしないでしょう。

 では、口出しするかしないか、その線引きはどこにあるのでしょう?

 私の場合、単に嫌いというだけなら、親友がその人と交流があっても平気です。リアルであれバーチャルであれ。
 でも、単に嫌いなのではなく、憎しみも抱いている人……過去に私に対して酷い仕打ちをした人、嫌がらせや誹謗中傷をされた人など……と友達が仲良くしていると、やはり良い気はしません。いや、めっちゃ嫌です。
 それでも……やっぱり口出しはしないかも。
 ただ、そんな人と仲良くする人とは、友達関係を継続出来ないと判断するでしょう。


⑶主催者

 私も小規模ながら、SNS上でイベントを企画したことが何度かあります。かつては、インスタでもちょこちょことやっていましたし、noteでは「54字の物語」を使ったイベントを何度か主催させていただきました。
 多分、そういう企画物に取組むことが好きなんだと思っています。

 と言っても、大して経験はありません。なので、偉そうなことは言えませんが、こんな私でも主催する時に大切にしていることが一つだけあります。
 それは、「ホスト役に徹すること」です。

 イベントを企画すると、その宣伝や説明などの付随する投稿も増え、必然とアクセスもコメントも増えます。でも、それをほんの少しでも目的の一つにしようと思ったことはありません。
 なので、イベントの告知や説明の記事に自作のリンクを貼るなど、宣伝に使うなんてことは私には考えられないのです。逆に言えば、もしイベントを開催する目的の中に、PVを増やしたい等の欲が少しでも含まれているのなら、自作の宣伝にも使うでしょうし、そういう主催者の企画には参加を躊躇ってしまうのです。

 あくまで個人的な見解ですけど、普通の記事でもリンクを貼りすぎている投稿はあまり読む気が起きないし、私の場合、わざわざリンク先に飛ぶのは必要性を感じた時だけですので、貼るならよく考えて、絞り込んだ方が効果的だと思います。

 念の為に追記しますと、リンクを貼ること自体は肯定派です。そうではなく、「どの記事」に「どんなリンク」を「幾つ」貼るかが重要なのです。

⑷ホンモノとニセモノ

「バカにしてるのか?」
「いえ、バカにするというのは、バカじゃない人をバカ扱いすることですよ?」
 以前、こんな感じの54字を書いたことがあります。

 ちょっと話が違うかもしれませんが、ホンモノとニセモノってアートの世界では年々判別が困難になっていますけど、「人間」にフォーカスするとなんとなく分かりませんか?
 ネットでもリアルでも、親切な人と親切を装う人は何となく違うなぁと思います。善行と偽善もそうですし、謙虚な人と謙虚っぽく振る舞う人もそうです。

 これらの一番大きな違いは、自分のアピールをさりげなく匂わせているか否かにつきます。
 親切を装う人は、さりげなく「私ってこんなに親切なのよ」と匂わせている表現が何処かに隠れているのです。善も然り、謙虚も然り。
 そして、皆さんからの「親切ですね!」「良い事しましたね」「謙虚な方ですね」といったコメントを切望している節が感じ取られるのです。要するに、それを目的に表現しているのです。

 そもそも、親切さとか善行とか謙虚な振る舞いとか、優しさも気前の良さも慈愛も献身も全てそうですけど、そういったモノはホンモノならアピールすることはないのですよね。
 もちろん、記事にしたり話題にするのは構わないのです。そうじゃなくて、そこにプラスして、いかに自分が頑張ったのかなどをわざわざ自分で匂わせることで、全てが胡散臭くなるのです。

 要するに、褒められたいとか同情されたいとか、尊敬されたいとか共感して欲しいとか……そういった承認欲求の塊のような人なのです。
 なので、そういう人を見かけたら、私は絶対に褒めないようにしています。めんどくせぇヤツだなぁと思う方、どうぞ、バカにしてください。