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訳者あとがき①『ビースオベーンの生涯』

(本作は1,961文字、読了におよそ3〜5分ほどいただきます)


 1904年にイタリアで出版された、ズボラ・デ・タラメーノ( Zuvolla de Tarrameno )の幻の名著、「ビースオベーンの生涯( La Vita di Beethoven )」の翻訳の依頼を頂いた際、実のところ、引き受けて良いものか悩み抜いたものだ。と言うのも、数ヶ月前、翻訳に限らず、全ての執筆業から身を引くと決断したばかりだったのだ。また、今まで散々苦労ばかり掛けた妻を思い遣り、静かに余生を暮らそうと決意したところだったので、今更仕事のモードに上手く切り替えることが困難な状態でもあったのだ。
 最終的には、普段から何かとお世話になっており、また長年来の友人でもある公団車文庫の編集長、A氏の執拗な(?)説得に丸め込められ、酒の勢いもあり、渋々ながら承諾してしまったのだが。

 さて、それからが想像以上に大変だった。この著書は、執筆当時十七歳だった早熟の奇才ズボラ嬢の口語体で書かれているのだが、それをどのような文体で訳すべきなのか、私にとって一番の悩みの種となった。
 イタリア文学との付き合いの長い私ではあるが、ズボラ嬢の独特の言い回しは他に類がないのだ。また、時代背景や彼女の出身地などを考慮しても、どうしても通常の口語体とは考えられず、もちろん様々な文献による調査も行なったが、ズボラ嬢の表現を適切に訳すべく日本語の文体が思い当たらなかったのだ。

 そこで、私は逆の発想に切り替えてみた。つまり、あらゆる日本語表現の中で、私が一番理解から遠い技法、或いは、私の知らない表現技法とは何か……?
 結果、一つだけ思い当たる答えがあったのだ。そして、そう、それこそがまさにズボラ嬢の表現に相応しいではないか! ……思わず、私は歓喜したものだ。 

 つまり、現代の日本語に置き換えると、俗に言う「ギャル語」に当たるのでは? という結論に達したのだ。この著作は、ギャル語で訳してこそ、オリジナルを忠実に再現出来ると確信し、多少の読み辛さも生じるであろうが、原作のイメージを出来る限り再現すべく、まずはギャル語の習得から始めることにした。

「ma」「pero」など、英語の「but」に当たる逆説の接続詞は「ってゆうかぁ」、「non posso credere」は「そんなのありえんしー」、「penso di ~」は「~みたいなぁー」といった具合の翻訳は、私にとって気の遠くなるような作業であった。

 それでも、ギャル語での翻訳作業は、少しずつ着実に進んだものの、原作を読み解くに連れ、もう一つ避けては通れない大きな問題を孕んでいることに気付いたのだ。それは、私自身の音楽に対する知識が、致命的に欠如していることだった。
 当然ながら、この問題はすぐには解決出来る術はない。従って専門用語での記述は直訳を心掛け、後から専門家に校訂して頂く前提で、書き進めるしかなかった。

 しかし、ギャル語の記述に思いの外時間を要してしまい、結局音楽用語の校正がされないまま出版されてしまった為、音楽に造詣の深い読者にとっては、いささか不自然な表現が数多く見受けられるであろうことを、この場を借りてお詫びしたい。
 例えば、「Allegro ma non troppo」という記述があるが、私はこれがそのまま音楽用語であることを知らず、「快活にね……ってゆうかぁ、やり過ぎはNGだしー」、同様に「Andante cantabire」は「うたうかんじでー、歩くみたいなー」、「presto con fuoco」は「急いで! ファイヤー‼︎」……などと訳してしまったのである。
 同種の過ちとして、後に判明したことであるが、「停留所」は「フェルマータ」、「尻尾」は「コーダ」、「署名」は「セーニョ」、「デザート」は「ドルチェ」など、イタリア語のまま音楽用語として用いられている単語でさえ、そんなこと露知らず、直訳してしまった。

 また、固有名詞にも、不自然な表記が目立ってしまったようだ。バッチ(BACH)、モヅァート(MOZART)と訳した人物は、一般的にはそれぞれ「バッハ」「モーツァルト」として通っているらしいし、表題にもあり主人公でもあるビースオベーンも、どうやら小学校の教科書で「ベートーヴェン」と表記されているらしいのだ。いずれも、私の無知から生じた記述の相違であり、これまたお詫び申し上げる次第である。

 最後に、本書出版に当たり、締め切りの予定から大幅に遅れたにも関わらず、辛抱強く待ってくださった公団車文庫の編集長A氏、また、何度も挫折しそうになった私を終始励まし、身の回りの世話を始め、ギャル語の調査など雑用に明け暮れてくれた妻の美智子に感謝の意を表明し、あとがきとさせて頂く。


2006.X.X サイゼリアにて 訳者