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朝のひととき

(本作は1,799文字、読了におよそ3〜5分ほどいただきます)


 これが、よく言われている「倦怠期」とかいうやつなのだろうか?  そう自分に問いかけたものの、即座に否定する自分もいた。
 そもそも、倦怠期とは、簡単に言えば「相手にドキドキしなくなる時期」のことを表すそうだ。当然ながら、その大前提として、ラブラブの時期を経ていることになる。つまり、時間を重ねることにより熱が冷め、良くも悪くも関係性に惰性や耐性が付き……言ってみれば、相手に対して新鮮味を感じなくなってしまった状態のことなのだ。そう思うと、僕と月那ルナの関係は、必ずしも倦怠期とは言い切れないだろう。

 月那は、今日も窓際のいつもの席で、物憂ものうげに階下を見下ろしている。ハーフならではの、何処となくエキゾチックな横顔のシルエットは——それこそ、僕が彼女に一目惚れした理由の一つでもあるのだが——何度見ても美しい。やはり、月那に対する熱は冷めてなんていないし、月那への思いに惰性も耐性もない。
 そして、今朝の彼女は一際美しいと思った。太陽光がかもす微かな陰影により、いつもよりミステリアスに映えている。そんな僕には勿体ないような美しい月那。しかし、高層階のマンションで一緒に暮らす僕のことを、まるでその存在に気付いてすらいないように、こちらを見ようともしない。もう、何日もそんな感じだ。
 でも、無視とは違う。空気のように扱われているわけでもない。外に特別な憧憬でもあるのだろうか、窓の向こうの世界に思いを馳せているかのようで……何と言えばいいのだろうか、窓のこちら側にある現実の世界には、無関心に近い状態なのだ。それをもって、安易に「倦怠期」という言葉に逃げたくはない。

 そもそも、僕達にラブラブの時期なんてあったのだろうか?  いや、あったとして……少なくとも、僕の中での月那に対する気持ちは、出会った頃と変わっていないつもりだ。やはり、そこだけをおもんぱかっても倦怠期の定義からは外れている。
 だからと言って、月那が変わってしまったのではない……と思いたい。確かに、出会った頃のようにいちゃついて過ごす時間は激減した。月那の本質だろうか、元より寡黙でクールな性格ではあった。それが顕著に表出するようになったとも言える。最近は、輪をかけたように素っ気ない態度を取られることも増え、心が折れそうな時もある。果たして、僕の何がいけなかったのだろうか?  今となっては分からない。
 それでも、どうにかして、関係改善に努めたいとは思っている。同時に、それが容易に叶わないことも予想している。もし、永久に叶わないとしても、それでも彼女との暮らしを続けることしか、僕には選択肢がない。月那と別れるなんて、月那のいない生活なんて、とてもじゃないけど考えられない。

 仄かに差し込む爽やかな朝日も、寝起きの彼女には刺激が強過ぎるのだろうか、微かに目を細めている。どれだけ忙しくても、月那は自慢のロングヘアーだけは毎日入念に手入れをしている。とは言え、ヘアースタイルには特にこだわりはないようで、取り立てて縛ったり纏めたりすることもなく、ただ無造作に伸ばしているだけだ。それでも、均整のとれた美しい顔立ちのせいか、若しくは、やや切長の魅惑的な大きな目に調和するからか、淡い褐色のロングヘアーは常に月那を美しく彩っていた。
 その時、一瞬目が合った。確かに、月那は僕を見た。少し離れていても、吸い込まれそうなぐらい、神秘的にきらめく大きな瞳。まさにその名前のように、月那の瞳は微かに青い。僕は、無意識で月那の名前を呼んでいた。
 しかし、月那は僕の呼び掛けには応えてくれず、さり気なく聞こえなかった振りを装い、立ち去ってしまう。それでも、時折り振り返っては物言いたげに僕を見つめ、無言でそっと佇んでいる。どこか淋しそうでもあり、少しだけ悪戯っぽくもある。彼女もまた、僕との関係性に迷っているのだろう。そして、僕に見られていることを知ってか知らずか、とてもエレガントに、柔らかくしなやかに背筋を伸ばす。

 今すぐにでも、月那を抱きしめたい……そう思った僕は、やむを得ず、伝家の宝刀を取り出した。すると、月那は一転して目の色を変え、僕に甘えた声を発しながら擦り寄ってきた。こういう極端なぐらいにツンデレなところは、月那の何よりの魅力と言えよう。
 僕の手から、美味しそうにチュールを食べる月那を眺めている。僕にとって、この上なく幸せに感じる朝の一時ひとときだ。