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現代抽象画展

(本作は4,399文字、読了におよそ7〜11分ほどいただきます)


 誰に指摘されるでもなく、自分が芸術には疎い方だという自覚は、十分過ぎるぐらいに持ち合わせている。しかし、たまたま通り掛かりに目に付いた「現代抽象画展」という催しを、気の迷いにも近い気紛れで覗いてみることにした。 
 特に理由はない。丁度、時間が空いていたことと……そう、今まさに芸術の秋。芸術とは全く無縁の人生だが、そのことは少なからずコンプレックスでもあり、これを機に少しでも理解を深められたら……そんな思いも多少働いたのかもしれない。いや、理由や原因の分析はともかく、要は無性に観てみたくなったのだ。 

 会場は、小さな喫茶店のようだ。厳密に言うと、抽象画展はその二階で開催中だった。想像よりもずっと安い入場料を支払い、俺は二階に上がった。ざっと見渡すと、そこは正方形に近い四十帖ぐらいの部屋だろうか、四面の壁一面に所狭しと落書きのような奇妙な絵画が、数点展示されていた。登ってきた階段は一つのコーナーにあり、そこが唯一の出入口となっている。室内は、どうやら右回りを順路としているらしいが、皆、思い思いの順番で鑑賞している。部屋の中央には、四面の壁に向けたベンチもあった。また、階段と対角側のコーナーには監視員らしき女性が座っており、かなりの小規模ながら、本格的な美術館らしい体裁は整っていた。 

 下の入り口で、チケットと一緒に「作品解説」と書かれたコピー用紙を手渡された。実は、この展覧会では、実験的な試みが行われていた。それは、作品と番号だけしか展示されておらず、この作品解説がないと、作者の名前どころか作品名、製作年などのディティールは一切分からないようになっていたのだ。
 なるほど、それは面白い試みだな……俺は、そう思った。大体、絵画なんて解説なしに理解出来るはずはない、と思っていたのだ。なんだ、俺だけじゃなかったのだ……だからこそ生まれ企画だと思うと、妙な安堵を覚えたものだ。特に現代抽象画なんて、尚のこと、直ぐには理解不能な筈だろう。だからこそ、敢えて解説を読まず考えてみるも良し、解説で予習してから見てみるも良し……やっぱり、面白い試みだ。俺は、折角の機会なので、主催者の主旨を尊重し、とりあえず解説無しで鑑賞しようと決めた。 

 しかし、こんな小規模の、しかも現代アートだというのに、思いの外、客が多い。じっくりと鑑賞するつもりのない俺は、渋滞気味のスタート近辺の人集りにげんなりし、順路通りに観るのは諦めた。とは言え、さすがに逆行は迷惑だろう。なので、1〜3面を素通りし、4面目の最初から出口に向けて、順路通りに観ることにした。 

 まず、一つ目を鑑賞する……が、ん?  なんじゃこりゃ?  ……と戸惑いしかない。もう、訳が分からない絵だった。全く理解出来ないし、面白くもなんともないし、何の魅力も感じない。矢印のような幾何学的な模様が、様々な色彩でランダムに散りばめられ、所々駐車禁止の標識のような記号をサンドイッチのように挟み込んでいる。ダメだ。意味不明。やっぱり、俺には芸術なんて分からないのだろうな……まぁいい、解説を見てみるか——俺は、やや屈辱を覚えつつも、解説書を開いてみた。
 えぇと、この作品は……よく見ると、作品の右上に番号の書かれたカードが貼られていた。どうやら、この絵の番号は「18番」だ。そこで、解説書の18番に目を通してみた。 

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 ≪《18番【戦争か平和】 》≫
 イレーヌ・ポゴロスキー(1965~)作  2006年 油彩 

(解説)ポゴロスキーの代表作【戦争か平和】は、2006年、ポゴロスキーの自宅にて完成された油彩画である。様々な色彩はおそらく人種を表し、色彩(人種)がぶつかり合う不条理、戦争の悲惨さ、残酷さを嘆く一方で、色彩が解け合うことの美しさと救済を、願望を込めて表現したとされている。コンセプチュアルアートの範疇で、これほどまでに切実に平和を願う作品は、他に類を見ないだろう。 
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 ああ、なるほど。おかしなもので、そういう目で作品を見直してみると、そう見えてくるものだ。つまり、こっちが争いでこっちが平和なんだろうな……そうそう、こうやって挟み込むことにより、争いになることもあれば融和に向かうことも……うん、これは面白いかも。そうか、これが芸術の面白さなんだ。芸術なんてさっぱりの世界だったが、ちょっとぐらいは視界が開けたかもしれない…… 
 そんな俺の楽天的な発想は、次の作品を観た瞬間、一気に打ち砕かれた。 


 な、な、何じゃこりゃ?  全くもって訳が分からない……そこには、螺旋状にグルグルと、得体の知れないモノが描かれていた。均整の取れない直線が放射状に広がっている箇所もあり、右下には不自然に妙な動物のようなモノが鎮座していて……それらが何を意味するのかも分からない。方向感覚も失うし、そもそもこの絵に上下左右なんて存在するとも思えない。パッと見の色彩は鮮やかだが、若干ケバい。
 クソッ、やっぱり俺には芸術なんて理解出来ないのだろうか……仕方がない。切り札を出すとするか……俺は、再度、解説書を開き、「19番」の解説を読んでみることにした。 

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 ≪《19番【思考の坩堝】》≫
 宮下宗源作(1965~)作  2012年 油彩
  
(解説)作者の宮下宗源がこの作品に着手した頃、内縁の妻との間に第一子を授かっている。宗源にとっては、遅くに出来た初めての子供。この作品にも宗源の父親としての自覚と戸惑いが表現されており、一貫性のない技巧において、最後は希望に導かれるような筆運びは、まさに当時の宗源の思考や心情をそのままトレースした作品と言えよう。宗源の第一期作品群には見られなかったアッサンブラージュの確立も含め、本作は第二期作品群の中でも、一際高い評価を博している。 
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 げっ!  日本人かよ!  日本人もこんな絵描くんかよ!  しかも、俺と歳が近いじゃん!  しっかし、驚いたなぁ……いや、でも待てよ、言われてみると、収拾の付かない父親の思考と戸惑いって、絵にしたらこんな感じかもしれない……俺も娘が出来たと知った時は戸惑ったもんなぁ……それに、いろいろ考えた所で、やっぱり最後には希望を見出しているってところが、宗源さんと被るわな。うん、なーるほどね。なかなか芸術ってのも分かってくれば面白いもんじゃん…… 
 そんな思いを巡らせながら、俺は次の作品の前に立った。 そして、今度こそ、絶望的な敗北感に打ち拉がれることになった。 


 うっ……い、いや、待てよ。焦るな。じっくり考えろ。今の俺なら分かるかも……あぁ、やっぱりダメだ。ますます分からん。この絵は、何を伝えたいのだ?  う~ん、悔しいけど、やっぱり解説読まないとさっぱり分かりませんな…… 
 理解することを放棄した俺は、再び解説書を読むことにした。 

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 ≪《20番【夢から覚めたような夢の中】》≫ 
 スコット・E・スミス(1987~)作  2014年 油彩 

(解説)早熟の奇才、スコット・E・スミスによる習作。言うまでもなく、スコットの作品に一貫したテーマは「夢」である。彼は「夢」を様々なアプローチで解析し、作品化した。本作は、後に彼の代表傑作となった2015年発表の【夢みたいな夢っていうかぁ】に繋がる作品として、近年再評価され、日本にはこれが初上陸となる。中央部の退廃的な象形文字は時空の超越を象徴し、それを取り囲む偽善に充ちた直線の集合により人類の無情と個人の温情を対比させ、全体を覆い尽くす幾何学的な記号の集合体こそ人類の根底に潜む欲望と執念に充ちたアルカイックでイノセントな「夢」であろう。人類の精神的な進化と無意識下での生存本能を夢の中での出来事として漂白されたイメージの元に象徴的な技法にて数学的に表現されておりまさに【夢から覚めたような夢の中】のように観念的な自己主張を包括しそれは後の傑作「夢みたいな夢っていうかぁ」の前兆とも捉えられ習作とは言えシュールレアリズムの発展的延長に属するロマンチスト、スコット・E・スミスならではの作品である。 
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 えっ?  タイトルの意味すら分からないんだけど、解説はもっと分からんぞ?  解説の解説が欲しいな。せめて、句読点打てよ。で、結局、この絵は何なんだ? 
 これは、難解ですな。俺には理解不能ってことかな、芸術オンチなくせに、いきなり現代物を見ようとしたのがいけなかったのか…… 
 少しは芸術に慣れ親しんできたと、勘違いながら思っていた数分前の自分が妙に恥ずかしくなり、ほんの少し自嘲気味に笑った。 

 そして、最後に俺は、重大なことに気付いてしまった。この20番「夢から覚めたような夢の中」をもって解説書は終わっているのだが、作品はもう一枚展示されているのだ。最後の作品は、解説無し、自分で考えろってことなのか?  と思ったが、すぐにそうでないことに気付いた。 
 何てことはない、作品番号は左上に表示されていたのだった。俺はずっと右上の番号を見ていた……ということは、つまり、最初から一つずつズレた作品の解説を読んでいたわけだ。 
  
 ははは……最初の二枚、確かに何かが分かった気がしたんだけどなぁ……違う作品の解説を読んで納得していたってことは……要するに、全く分かってなかったってことですか。はいはい、やっぱり俺とは無縁の世界ってことですね。分かった気になって損した気分ですわ。「芸術の秋」ねぇ……あぁ、腹減ってきた。俺には、やっぱり「芸術の秋」よりも「食欲の秋」。下の喫茶店で、サンドイッチぐらい食べさせてくれるかな——

 現代抽象画展は、まだ四分の一しか観ていないが、俺は、迷わず階段を降りることにした。これ以上観ても、どうせ理解出来っこない上に、正直なところ、ちっとも面白くもない。それに、少し小腹が空いてきたのもある。
 いや、理由や原因の分析はともかく、無性にサンドイッチが食べたくなったのだ。