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【La Pianista】⑦

第7章 叙唱~recitativo~

 加納は、三十歳という年齢を一つの区切りとして、後の人生に大きな影響を与えることになる決断を自らに下した。
 音大在学中に自らの演奏家としての資質の限界を痛感し、ピアニストになる夢を断念して研究者の道へと軌道修正した加納にとって、これは、生涯二度目の大きな分岐点になる。卒業以降もずっと所属していた音楽大学の研究室を引払い、ピアノ指導者として生きていく決意を固めたのだ。
 指導者の道は、ある意味では演奏家以上に競争が激しく、厳しい世界であることは分かっていた。しかし、実践を伴わない理論なんて、机上の空論に過ぎないのだ。長年に渡る研究も、研究のままで終わっては何の説得力もなく、ピアニストの演奏表現に役立ててこそ、初めて意味を成すのである。つまり、いずれは直接的な指導の実践を視野に入れ、奏者に還元する前提での研究だった。そのタイミングが、まさに今だと判断したのだ。

 ただ、加納は、あまりにも特殊なレスナーだった。単なるピアノ演奏指導者ではないのだ。当時は殆んど見向きもされなかった、奏法や運指の理論に特化した指導なので、「トレーナー」と呼ぶ方が相応しいかもしれない。だからこそ、この時の決断には、一世一代の重みがあったと言えよう。
 元々、大学の研究室でも、ピアノの演奏技法について専門的な研究を重ねていた。主に、ホロヴィッツやグールド、ルービンシュタイン、リヒテル、ケンプ、ミケランジェリ、ゼルキン、バックハウス、ギレリス、ハスキル……など、歴史に名を馳せる名ピアニストの演奏を解析し、人体力学の権威の協力を仰ぎ、打鍵スピードやタッチ重量を算出して、それぞれの奏法での音色(波形)の違いを研究していた。
 もちろん、調律師とも提携し、アクションの物理的なコンディションの違いによる波動の変化やタッチの解析、発音の効率化、適合する打鍵法なども分析した。そういった科学的アプローチから得た演奏技法の違いは、ピアニストの個性を彩る重要なファクターでもある。そして、演奏表現に活用して貰えるならと、学生達へもオープンに情報を提供し、同時に彼らからのフィードバックも得ていた。
 しかし、様々なピアニストの奏法を解析しているうちに、加納にはある疑問が湧き上がっていたのだ。ピアノには、もっと理に適う弾き方があるのではないかと……。

 大学を辞めた加納は、自分自身に人生で最初で最期になるであろう長期休暇を課し、イタリアを旅行した。しかし、持って生まれた生真面目な性格から、どうしても研究やピアノと切り離した時間は作れない性分だ。なので、旅行中も連日のように様々なコンサートへ足を運んでいた。
 コンサートシーズンのヨーロッパでは、どこの街でも至る所で様々なコンサートが行われている。会場は、コンサートホールとは限らない。小さな教会だったり、広場の特設ステージだったり、どこかのサロンだったり。加納は、それがピアノのコンサートであれば、手当たり次第に足を運んでいた。
 当時の加納がピアノのリサイタルへ出向く目的は、演奏ではなく音を聴くこと、そして、音を聴くことよりもタッチを見ることに、より重点が置かれていた。そして、毎日のようにコンサートへ足を運んでいると、様々な現象を窺い知ることが出来たのだ。
 小柄で華奢なピアニストなのに、優雅で豊潤な音を出す女性もいる。一方で、190cmはある格闘家のような男性ピアニストが、繊細で弱々しい音を絶妙にコントロールする。やはり、ピアノの音は、ボリュームも色も、力ではなく鍵盤を叩く位置とスピードでコントロールするべき……今まで研究してきたことの正当性を生々しく再確認出来た加納は、更に推し進め、より合理的な指使いを追求してみようと思うようになった。必然であろう。そして、それはそのまま、加納のライフワークとなったのだ。

 旅行先に、イタリアを選んだことにも理由があった。幸いなことに、懇意にしている雑誌の編集長より、どうせ行くなら記事を寄稿してくれないか? と持ちかけられていたのだ。内容は、コンクールのレポートだ。丁度、イタリア南部のアヴェッリーノという都市で、四年に一度の「マルトゥッチ国際ピアノコンクール」が開催されていたのだ。しかも、運良く、代理店を通して三次予選と決勝のチケットを手に入れることが出来たらしい。加納としても、自身の研究において、コンクールほど有意義な環境はない。言うまでもなく、二つ返事で受諾した。
 マルトゥッチ国際ピアノコンクールは、日本では殆んど知られていないが、ヴィルトゥオーゾ系のピアニストにとって最も価値があるとも言える、技巧と体力と精神力の極限を競うかのようなハードなコンクールだ。ロマン派後期のイタリア人作曲家、マルチェッロ・マルトゥッチの功績を称えたコンクールだが、他のピアノコンクールと比べ、特殊な要素が多々あり、敬遠するピアニストも多い。いや、弟子に出場させたがらない指導者が多いのだろう。その為、長い歴史の割りにはメジャーな大会として認知されていないが、由緒ある伝統的なコンクールには違いない。

 では、その特殊性とは何か?
 まず挙げられることは、先述した通り、四年に一度しか開催されない点にある。それだけならまだしも、「決勝の日に二十二歳に満たない者」という、成長途上の若手に限定する参加条項もある為、出場出来るチャンスは非常に限られているのだ。五年に一度の開催で、年齢制限が三十歳までのショパンコンクールと比べても、より出場チャンスが乏しいコンクールと言えるだろう。
 スケジュール的にも、長期に渡る消耗戦となる。先ずは、十一月の上旬に、推薦及びテープ審査による選考を通過した、最大五十名のピアニストにより一次予選が行われる。六分以内の小品の中から自由に選択出来るのだが、マルトゥッチは生涯に百曲近くの小品を遺している為、選曲には頭を悩ませるだろう。そのいずれもが、短いながらに超絶的な技巧を詰め込まれたヴィルトゥオーゾ系の曲ばかりだ。
 この弾き切るだけで精一杯の難曲から、技術的な完成度は当然のこと、そこから浮かび上がる叙情性を如何に醸し出せるのかが重要と言われている。ここで、約半数が振り落とされ、残った二十五名前後で二次予選が行われる。

 二次予選までのインターバルは、五日程度しかない。おそらく、ほぼ全ての出場者は、二次予選で弾く曲も予め準備しているだろう。ここでは、マルトゥッチの全ピアノ曲からの自由選択で、何曲弾いても良いのだが、計二十五分以内という時間制限が設けられる。つまり、ピアニストの構成力も問われるのだ。
 殆んどのピアニストは、審査員へのアピールの為、技巧的なエチュードと抒情的な曲など、趣の異なる二、三曲の組合せで挑むのだが、中には大曲一つだけをぶつけてくる者もいる。ピアニストの個性が、最も表出するステージと言えるだろう。

 そして、このコンクールの一番の難関とも言われる過酷な三次予選には、十二名が選出される。加納が鑑賞出来たのは、ここからだ。幸いなことに、今大会では日本人ピアニストが一人、三次予選に駒を進めていた。
 三次予選では、主催者が選出した二曲の中からどちらか一曲を選択し、予め届け出ることになっている。しかし、これこそが最も過酷と言われる所以でもあるが、曲目は二次予選の結果と一緒に発表されるのだ。選出される二曲は、必ずマルトゥッチのトランスクリプションと決まっている。トランスクリプションとは、簡単に言えば違う編成に書き直された曲のことだ。
 マルトゥッチは、生涯に沢山のオーケストラ曲や弦楽合奏曲などを、ピアノ独奏用に書き直したと言われている。三次予選では、その中でもイタリアオペラの曲のトランスクリプションが選ばれる伝統があった。とは言え、それだけでもマルトゥッチは何十曲と残したのだ。しかも、どの曲も小品とは比較にならないような超絶的な技巧を要する難曲ばかり。二次予選から三次予選までの二週間のインターバルで一曲を仕上げないといけないのだが、これはとても困難な作業になるだろう。
 この技術的にも精神的にも厳しい三次予選は、毎回棄権する者が出るぐらい、ピアニストは追い詰められる。まさに、心身ともに極限の中で競い合う、サバイバルゲームの様相さえ見せる消耗戦だ。しかし、ここを勝ち抜くと、いよいよ一週間後に行われる決勝の舞台に立てるのだ。

 決勝は、六名のピアニストにより競われることになる。曲は、マルトゥッチのピアノ協奏曲だ。つまり、この最後の舞台では、選ばれたピアニスト達はオーケストラと共演するのだ。
 マルトゥッチは、生涯に三曲のピアノ協奏曲を残した。決勝では、習作で短い一番を除き、二番か三番のどちらかを選択することになっている。当然ながら、オケを相手に全楽章弾かないといけない。体力的にも厳しい戦いだ。ここまで勝ち残った若者達には、もう技量の差なんてほとんどないようなもの。なので、決勝は精神力と勢い、そして「運」の勝負にもなる。
 コンクール期間中に、急成長するピアニストもいる。逆に、スランプに陥る人もいる。体力的にたない人もいる。タレント性を発揮し、聴衆を味方に付けるピアニストもいる。約一ヶ月の間、コンディションを上手く管理する能力も大切なのだ。些細な精神面の乱れが、ステージパフォーマンスに影響することもある。横並びの実力の中で、より上手く、或いは、運良くヽヽヽプラスアルファを出せた者こそ、コンクールの覇者となり得るのだろう。そして、四年に一人、そのようにして天才が生み出されるのだ。

 そこは、必ずしも、実力順に評価される舞台ではない。音楽は、実力だけでは優劣が付けられないのだ。それでも、ピアニストは、無情にも勝者と敗者に分別される。そして、最後まで勝ち残った者には、必ず拓けた未来が待っているだろう。
 コンクールとは、そういうものである。


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