「ない」から「ある」に。
起業を準備して、数か月。歩みが遅い気がして不安になったり、毎日次に進むための行動や考え方をして変わっていってるよね?と認めてもらったりする毎日。(それでも成果がなくて自分を責めがちだけど)
歩みは遅いんだけど、とにかく「時間が経つのが遅い」
こう書くと、しょっちゅう時計を見ては、まだ〇時か〜と暇を持て余すのが普通だと思うけど、そうではなくて。
とても不思議。このところずっと、どんな心境にあっても「あ、まだこんなに時間あるんだ」、という感じ。
たぶん、今がまさにゼロイチに差し掛かるところで、あれもできてない、これもやらなきゃという段階で、普通なら「もうこんな時間!」とか「もう〇月!」という気持ちになりそうなもんなのに、それはない。
正確には、焦る気持ちには度々なるのに、時間だけは有難いことに、いつも感じているよりかなり遅い進み方で、焦る気持ちとは裏腹に、日付や日数を確認しては「あれ?まだそんなに経ってないんだ??」と、おかしな感覚になる。
これまでは、どんなことも「うわ!もうこんなに時間(日数)経っちゃってるじゃん!ヤバイ!」でさらに焦り慌てた挙句、収穫ほぼなし、みたいな展開が常だったのに・・・・
ゆっくりな分、心にゆとりができて助かるけど、なんだろう??ただの楽観視?問題意識が低いのかな?(笑)
そういえば、昨年の夏休みに似たようなことがあったなぁ。
お盆休みは毎年結構長い休みなのに、初日に書きだしたやるべき事をやり切れずに不完全燃焼であっという間に終わってしまうので、
「できなかった。足りなかった」って「ない方」を吊るしあげて、キモチまで疲れ果ててお休み終了。
だけど昨年は、例年の反省もなくかなりたくさんやることをリストアップしたのに、お休み前半でほぼ終わってしまって、おかしくなったのかと本気で思って、カレンダーやスマホの日付を何度も確認した覚えがある。
ここまで書いて、そうか、昨年はコロナで旅行もお買い物もなかったわ、と気付いた。それも大きな要因だな。でも、たぶんそれがあってもさほど変わらなかっただろうと思うくらい、ゆとりがある、ありすぎるのが不思議な夏休みだった。
夏休み途中に、これまでの私なら「もう無理かぁー休み明けでいっか」と諦めてしまう出来事があったけど、諦める気満々の私に、ほんの数時間で「間に合うよ」とアドバイスしてくれる人が何人も現れて、
「間に合うかなぁーでもなぁー」という気持ちのまま進んでみたら特に大慌てで行動したりしてないし、間に合わせるためにタクシー飛ばして、とかもなかったのに、
「あれ?乗る予定の前の電車に乗れちゃった!」「あれ?前回は激混みですごく待たされたのにもう順番回ってきた!」と
トントン拍子に進んで、陽がガンガンに照り付ける午後のうちに全ての用事が済み、これの成果によって解決必須の懸案事項(長年解決を望んで叶わなかった)が大きく前進することになった。
この懸案事項が全て片付いたのが12月。もう年末に差し掛かっていて、公的な手続きとしては年内処理のめっちゃギリギリ。でも滑り込みで解決した。夏休みのあの日、先送りにしていたら絶対に間に合わなかった。
2020年の夏休みは、本当に不思議だった。
こういうドタバタでほぼ無理な展開のときはいつも、すごく重たい嫌なキモチなのにそれでも頑張って、結局あと一歩で終わり切らず、先送りした場合と大差なくお金と時間とエネルギー使って無駄足だった、振り出しで意味なかったじゃん・・・ってなるのが定番のオチ。得意の「0か100か」の・・・マイナス(笑)。
こうやって「ない」を吊し上げてグッタリする。の繰り返しだったけど、この時は、違った。
行動に移している間の気持ちはこれまでと全く変わらず後ろ向きで、一つ違ったのは、嫌なキモチがしなかったこと。すべてが完璧に完了した時、予想と違いすぎて「ぽかん」としてしまった。
乗り気でないながらも、「ない」ではなく、「ある(かもしれない)」の方に進んだことに結果が出たのかな。
間に合わ「ない」、でき「ない」と思い(疑い)つつも、もしかしたら可能性「ある」かもと思えた(無意識だったけれど)ということであれば、以前のガチガチアタマからは前進している!と思う。
今、自分がやっていることに対して可能性が「ない」としか思えなくて「ある」を信じられない。
あの時のように、背中を押してくれている人がいるのに。今回は私の状態を私以上に理解し把握している人がガンガンに背中を、ココロを、やる気を押してくれているんだけどな・・・・・
今はこんなだけど、あの不思議な感じをまた味わいたいなぁ。