生 と 死
過去にとらわれ 傷を覆い隠し 未来に希望をもてない
そんな 自分の状態に 気づかざるをえない・・・発端となる出来事は突然ハプニングのようにやってくる
絶望的にかんじる 解決策はどこにもないように思える
けれども 時の流れのなかで その感覚や感情・こころを抱きしめながら あるとき、突如、あたらしい風が吹く
あたらしいはじまりを予感する
そして一歩踏み出す ことができる
わたしたちの 人生そのものが、生と死のサイクルを繰り返していると言えないか?
そしてその繰り返しには、ひとりひとり特有のパターンがあり、その基盤となっているのが、”受胎から産後6時間”という、胎児・あかちゃんのころの体感が今に映し出され影響している。
要するに、今、わたしたちが 記憶としては覚えていないような時期の体感は、”無意識”に貯蔵されている。さらには、”無意識”は、人生のパターンとなり、深く影響している。
わたし自身、ネガティブなパターンが外れていく体験を通じ、無意識の世界のことは、ただの夢物語ではないことを体験してきた。
繋がり・先祖・DNA
母親という役目を授かったとき、想定外だった悲しかったこと。それは、自分が幼いころ、親からうけた悲しい対応を、同じように、こどもにしてしまう状態を体験したことだった。
頭ではわかっているのに、自動的に反応がはじまると止められない。
自分の内側にあるものを ”あるがまま” にみて ”感じる” ということ・目に見えないが、内側にある神聖な領域との関係性を育んでいくという道にであい、実践しはじめたのは、一人目の子育てとともにパートナーとの関係にも苦しんでいたころだった。
わたしが出会った真実は”繋がり”を失っていることにより、”苦しんでいる”ということだった。
幼少期から今まで、健康や勉学・仕事・恋愛・人間関係など状況を変えながら現れたことすべてに・・同じように覆い尽くし広がっているのは・・孤独や欠乏感に満ちたパターン。
意識に浮上してきながら、”あるがままの体験”がおこることで、そのパターンは自然と剥がれ落ち、ゆとりと安心感と繋がり感が育まれ、現実に反映されていくことを体験した
無意識に自動的に諦めていたことがあることにも気づいた。
自分にとっては、自分という器にとってはかけ離れた大きすぎるビジョンなのでは!と感じるような夢をもつことに対する抵抗感も、同時に薄らいでいった。
”無限の可能性”に満ちた人生を送ることができることを、、、たくさんの”ミラクル=不可能が可能になる”を体験しながら、実感するようになった。
人生を振り返る
傷つき、悲しく、絶望的な体験があったとしても、そこには、”わたし”の”あるがまま”を自覚し、体感する助けになる”学び”のプロセスであると腑に落ちた時、もう そこには ”弱者・強者” ”善・悪” ”正しい・間違い” ”成功・失敗”というジャッジメントに覆い尽くされる感覚がなくなっていた。
すべては体験である
けれども その体験を恐れ、真実から逃げ、過去に固執し、傷をないものにしようとする働きがあることにも 自覚が深まっていった。
どうしたらよいのか わからないような 崖っぷちの状態の中に、”チャンス”があること。 そのような哲学に触れ、見方や考え方だけを 変えようとしても うまくいかなかったのは そういうことだ。
深いところで、信じている”信念”。そこには こころの傷が関わっている。加えてその信念自体は、普段は、意識に浮上していない。無意識なのだ。
”無意識”に、自動的な自分自身の言動・反応に、多大なる影響を与えている
体験が起こると同時に、腑に落ちていく・・・・。
どれほどに、わたしはご先祖さまの生き様というベースとともに生きているのか。
”わたし”と信じてるものが、幻想であるという直感へ繋がっていった
どれほどに、まわりに存在している 家族・友人・生活環境・大地・自然の表れ と繋がりあいながら わたしが存在しているのかを 知覚するようになっていた。
こどもたちは最先端であり先生
4人の子供の妊娠・出産の体験が わたしに もたらしている恩恵は計り知れない。
”恐れ”を覆い隠したままでは 出会うことはない
”不安”を 他の存在・人に委ねることでは 出会うことはない
それは ”決心”
真のこたえは ひとりひとりの ”無限にひろがる 自分自身の在りどころ=天才性” へのフォーカス から 広がる 己が創り出している”場”に出会うこと そして そこにフォーカスする そこに在る という決心 へと 誘っていきました。
天才性に目覚めていくワーク”天才性✴︎アウェイクニングワーク”は 私自身の実体験と、”音”という無限の情報がつまったソース”源”からの導きで創造されています。
わたしが3人目の子供を授かる時、一人の人間が地球上で体験する人生の青写真は、”受胎から産後6時間”の体験で決まることを知った。
それと同時に、私自身が母から生まれた時のちょうど その時期に 起きた”傷”の体感を再体験するために、パニック発作を発症した。そして、その後、一人の人間が、”幸せ”ですべてにおいて体験したいことが体験できるという人生の”信頼”を失うことのない”満たされた人生”を送るために必要な状態を、母であるわたしが新しい3人目のこどもに与えることができるように、3人目のこの子が受胎するまえに、わたしの無意識に眠っていた傷からわたしを解放する必要があり、そのための新たな体験として、想定外のさまざまなチャレンジングな出来事がおこるという準備が与えられた。
パニック発作を通じて、恐れとどのように付き合うことができるのかを学んだ。また、太陽がわたしに差し込みながら、言葉なきメッセージを明確に受け取ることもあった。彼女を家族だけの”無介助出産・プライベート出産”で出産したのも、すべてにおいて、この子の人生にとって理想的な環境を創りだす助けのために動かされた。
そのすべてのプロセスと実りは わたしの考えと想定を超えていた。
けれども、彼らからのメッセージをわたしは無視しなかった。
それは、信頼できる”医師”が伝える情報と比べ物にならないほどに、わたしがそれを大切にするべきであること。わたしにしかわからないが、それは真実であると、ハートが語っていた。
ゆめのたね 中四国・沖縄チャンネル パーソナリティーでいらっしゃる
Sawada KanakoさんのEKAMレディオで、2020年の春に、3人目や4人目の受胎についてお話をした音声を特別にいただきました。
赤ちゃんが授かることや はたまた流産することも含め、いのちがここにやってくるということがもつ神秘的な領域の真実のお話。ひとりの人間の人生を決定づけるこの”受胎から産後6時間”の中でわたしたちができること、学ぶことができることについて。 などなど。お話しています。
今、妊娠中のかた、これから子供が欲しいと考えている方。こどもと関わり貢献して生きたい方。自分の人生そのものをより良い方向へ向かっていけるヒントが欲しい方など。未来に希望をもって生きたい方など!ぜひ聞いてみてください。ラジオの音声のリンクはこちら⬇︎
pianist 朋 のホームページ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?